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種々御振舞御書
文永八年十月十日に依智を立て同十月二十八日佐渡國へ著ぬ十一月一日に六郎左ェ門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のように死人を捨る所に一間四面なる堂の佛をなし、上は板間あわず四壁はあばらにして雪ふりつもりて消える事なし、かかる所に所持し奉る釋迦佛をたてまいらせ敷物なければ、敷皮打ちしき蓑うち着て夜をあかし日をくらす。夜は雪雹ひまなし、昼は日の光もささせ給わず心細かるべき住居なり。
謫居の地 塚原
当山は山号を塚原山といい、昔、佐渡の国仲地区一円の死人の捨て場所として、古墳累々たる塚原なりと云い伝えられています。全国の日蓮宗十大聖跡の一に列せられています。 我れ日本の柱とならん この「開目鈔」に認められた三大誓願であり、当山の別名を「開迹顕本の霊場」とも言われています。 当山の境内地は約一万七千坪で、本堂、祖師堂、三昧堂、千仏堂、妙見堂、七面堂、二王門、二天門、太鼓堂、鐘堂、宝蔵、経蔵、戒壇塚、庫裡、等凡そ二十九棟が鬱蒼とした杉や松に囲まれ、佐渡が島の中で聖人謫居を偲ぶ聖蹟として多勢の参拝をいただいています。
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