開目抄(かいもくしよう)・・・・日蓮宗 電子聖典より

 それ一切衆生(いつさいしゆじよう)の尊敬(そんきよう)すべき者三つあり。いわゆる主(しゆ)・師(し)・親(しん)これなり。また習学(しゆうがく)すべき物三つあり。いわゆる儒(じゆ)・外(げ)・内(ない)これなり。

儒家(じゆけ)には三皇(さんこう)・五帝(ごてい)・三王(さんのう)、これらを天尊(てんそん)と号す。諸臣の頭身(ずしん)、万民(ばんみん)の橋梁(きようりよう)なり。三皇已前(いぜん)は父をしらず。人みな禽獣(きんじゆう)に同(どう)ず。五帝已後は父母をわきまえて孝をいたす。いわゆる重華(ちようか)はかたくなはしき父をうやまい、〓公(はいこう)は帝となつて大公(たいこう)を拝す。武王(ぶおう)は西伯(せいはく)を木像に造り、丁蘭(ていらん)は母の形をきざめり。これらは孝の手本なり。比干(ひかん)は殷(いん)の世のほろぶべきを見て、しゐて帝をいさめ、頭(こうべ)をはねらる。公胤(こういん)といゐし者は懿公(いこう)の肝(きも)をとて、わが腹(はら)をさき、肝を入れて死しぬ。これらは忠の手本なり。尹伊(いんい)は堯王(ぎようおう)の師、務成(むせい)は舜王(しゆんおう)の師、太公望(たいこうぼう)は文王(ぶんおう)の師、老子は孔子の師なり。これらを四聖(しせい)とがう(号)す。天尊頭(てんそんこうべ)をかたぶけ、万民掌(ばんみんたなごころ)をあわす。

これらの聖人(せいじん)に三墳(さんぷん)・五典(ごてん)・三史等(さんしとう)の三千余巻の書あり。その所詮(しよせん)は三玄(さんげん)をいでず。三玄とは、一には有(う)の玄、周公等(ら)これを立つ。二には無(む)の玄、老子等。三には亦有亦無(やくうやくむ)等、荘子が玄これなり。玄とは黒(こく)なり。父母未生已前(ふぼみしよういぜん)をたづぬれば、或は元気より生(な)り、或は貴賤(きせん)、苦楽(くらく)、是非(ぜひ)、得失(とくしつ)等はみな自然等云云(じねんとううんぬん)。かくのごとく巧(たくみ)に立つといえども、いまだ過去未来を一分(いちぶん)もしらず。玄とは、黒なり、幽(ゆう)なり。かるがゆへに玄という。ただ現在ばかりしれるににたり。現在にをひて仁義(じんぎ)を製(せい)して身(み)をまほり、国を安(やすん)ず。これに相違(そうい)すれば族(やから)をほろぼし家を亡(ほろ)ぼす等いう。これらの賢聖(けんせい)の人々は聖人なりといえども、過去をしらざること凡夫(ぼんぶ)の背をみず、未来をかが(鑑)みざること盲人の前をみざるがごとし。ただ現在に家を治め、孝をいたし、堅く五常(ごじよう)を行(ぎよう)ずれば傍輩(ほうばい)もうやまい、名も国にきこえ、賢王もこれを召(め)して、或は臣となし、或は師とたのみ、或は位(くらい)をゆずり、天も来(きたり)て守りつかう。いわゆる周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には二十八宿(にじゆうはつしゆく)来(きたり)て二十八将となりしこれなり。

しかりといえども、過去・未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世(ごせ)をもたすけず、不知恩(ふちおん)の者なり。まことの賢聖にあらず。孔子がこの土に賢聖なし、西方(さいほう)に仏図(ふと)という者あり、これ聖人なりといゐて、外典(げてん)を仏法の初門となせしこれなり。礼楽(れいがく)等を教えて、内典(ないでん)わたらば戒定慧(かいじようえ)をしりやすからせんがため、王臣を教えて尊卑をさだめ、父母を教えて孝の高きことをしらしめ、師匠を教えて帰依(きえ)をしらしむ。妙楽大師(みようらくだいし)云く「仏教の流化実(るけじつ)に茲(ここ)に頼(よ)る。礼楽前(れいがくさき)に駈(は)せて真道後(しんどうのち)に啓(ひら)く」等云云。天台(てんだい)云く「金光明経(こんこうみようきよう)に云く、一切世間の所(しよう)有の善、皆この経に因(よ)る。若し深く世法(せほう)を識(し)れば即ちこれ仏法なり」等云云。止観(しかん)に云く「我れ三聖を遣(つか)わして、彼(か)の真丹(しんたん)を化(け)す」等云云。弘決(ぐけつ)に云く「清浄法行経(しようじようほうぎようきよう)に云く、月光菩薩(がつこうぼさつ)彼(かしこ)に顔回(がんかい)と称し、光浄(こうじよう)菩薩彼(かしこ)に仲尼(ちゆうじ)と称し、迦葉(かしよう)菩薩彼に老子と称す。天竺(てんじく)この震旦(しんたん)を指して彼(かしこ)と為す」等云云。

二には月氏(がつし)の外道(げどう)。三目八臂(さんもくはつぴ)の摩醯首羅天(まけいしゆらてん)・〓紐天(びちゆうてん)、この二天(にてん)をば一切衆生の慈父悲母(ひも)、また天尊主君と号す。迦〓羅(かびら)・〓楼僧〓(うるそうぎや)・勒娑婆(ろくしやば)、この三人をば三仙となづく。これらは仏前八百年已前已後の仙人なり。この三仙の所説を四韋陀(しいだ)と号す。六万蔵あり。乃至仏出世(ないしぶつしゆつせ)に当(あた)つて、六師外道この外経(げきよう)を習伝して五天竺の王の師となる。支流九十五六等にもなれり。

 

一一に流流(りゆうりゆう)多くして、我慢(がまん)の幢(はたほこ)高きこと非想天(ひそうてん)にもすぎ、執心(しゆうしん)の心の堅(かた)きこと金石(きんせき)にも超(こ)えたり。その見(けん)の深きこと、巧(たくみ)なるさま、儒家(じゆけ)にはにるべくもなし。或は過去二生(にしよう)・三生・乃至七生(しちしよう)・八万劫(ごう)を照見(しようけん)し、また兼(かね)て未来八万劫をしる。その所説の法門の極理(ごくり)は、或は因中有果(いんちゆううか)、或は因中無果、或は因中亦有果亦無果(やくうかやくむか)等云云。これ外道の極理なり。

いわゆる善き外道は五戒・十善戒等を持(たも)ちて、有漏(うろ)の禅定(ぜんじよう)を修(しゆ)し、上色(かみしき)・無色(むしき)をきわめ、上界(じようかい)を涅槃(ねはん)と立て屈歩虫(くつぷちゆう)のごとくせめのぼれども、非想天(ひそうてん)より返(かえり)て三悪道(さんあくどう)に堕(お)つ。一人(いちにん)として天に留(とど)まるものなし。しかれども天を極(きわ)むる者は永(なが)くかへらずとをもえり。各々自師(じし)の義をうけて堅く執するゆへに、或は冬寒(とうかん)に一日に三度恒河(ごうが)に浴(よく)し、或は髪(かみ)をぬき、或は巌(いわお)に身をなげ、或は身を火にあぶり、或は五処(ごしよ)をやく。或は裸形(らぎよう)、或は馬を多く殺せば福をう、或は草木をやき、或は一切の木を礼(らい)す。これらの邪義(じやぎ)その数をしらず。師を恭敬(くぎよう)すること諸天の帝釈(たいしやく)をうやまい、諸臣の皇帝を拝(はい)するがごとし。

しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人(いちにん)も生死(しようじ)をはなれず。善師(ぜんし)につかへては二生三生等に悪道に堕ち、悪師(あくし)につかへては順次生(じゆんじしよう)に悪道に堕つ。外道の所詮は内道(ないどう)に入(い)る即ち最要(さいよう)なり。ある外道云く「千年已後仏(ほとけ)出世す」等云云。ある外道云く「百年已後仏出世す」等云云。大(だい)涅槃経(ねはんぎよう)に云く「一切世間の外道の経書(きようしよ)は皆これ仏説にして外道の説にあらず」等云云。法華経(ほけきよう)に云く「衆(しゆ)に三毒ありと示し、また邪見(じやけん)の相(そう)を現(げん)ず、我(わが)弟子かくのごとく方便(ほうべん)して衆生(しゆじよう)を度(ど)す」等云云。

三には大覚(だいがく)世尊。これ一切衆生の大導師(だいどうし)・大眼目(だいがんもく)・大橋梁(だいきようりよう)・大船師(だいせんし)・大福田(だいふくでん)等なり。外典外道の四聖三仙(しせいさんせん)、その名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、その名は賢なりといえども実には因果をわきまえざること嬰児(えいじ)のごとし。彼を船として生死の大海(だいかい)をわたるべしや。彼を橋として六道(ろくどう)の〓(ちまた)こゑがたし。我(わが)大師は変易(へんやく)なをわたり給へり。いわんや分段(ぶんだん)の生死をや。元品(がんぽん)の無明の根本(こんぽん)なをかたぶけ給へり。いわんや見思枝葉(けんじしよう)の〓惑(そわく)をや。

この仏陀(ぶつだ)は三十成道より八十御入滅(ごにゆうめつ)にいたるまで、五十年が間(あいだ)一代の聖教(しようぎよう)を説き給へり。一字一句みな真言(しんごん)なり。一文一偈妄語(いちもんいちげもうご)にあらず。外典外道の中(うち)の聖賢の言(ことば)すら、いうことあやまりなし。事(こと)と心(こころ)と相符(あいあ)へり。いわんや仏陀は無量曠劫(むりようこうごう)よりの不妄語(ふもうご)の人。

されば一代五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり。大人(だいにん)の実語(じつご)なるべし。初成道(しよじようどう)の始(はじめ)より泥〓(ないおん)の夕(ゆうべ)にいたるまで、説くところの所説みな真実なり。ただし仏教に入つて五十余年の経々(きようぎよう)八万法蔵を勘(かんが)えたるに、小乗あり大乗あり、権経(ごんきよう)あり実経(じつきよう)あり、顕教密教(けんぎようみつきよう)、〓語〓語(なんごそご)、実語妄語(じつごもうご)、正見邪見(しようけんじやけん)等の種々の差別(しやべつ)あり。ただ法華経ばかり教主釈尊の正言(しようごん)なり。三世十方(さんぜじつぽう)の諸仏の真言なり。大覚世尊は四十余年の年限を指(さし)て、その内(うち)の恒河(ごうが)の諸経を「未顕真実(みけんしんじつ)」、八年の法華(ほつけ)は「要当説真実(ようとうせつしんじつ)」と定(さだ)め給(たまい)しかば、多宝仏大地(たほうぶつだいち)より出現して「皆是真実(かいぜしんじつ)」と証明(しようみよう)す。分身(ふんじん)の諸仏来集(らいしゆう)して長舌(ちようぜつ)を梵天(ぼんてん)に付く。この言赫々(ことばかくかく)たり、明々(めいめい)たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中(やちゆう)の満月のごとし。仰(あおい)で信ぜよ。伏(ふし)て懐(おも)ふべし。

 

ただし、この経に二十の大事あり。倶舎(くしや)宗・成実(じょうじつ)宗・律宗・法相(ほつそう)宗・三論宗等は名をもしらず。華厳(けごん)宗と真言宗との二宗は偸(ひそか)に盗(ぬすん)で自宗(じしゆう)の骨目(こつもく)とせり。一念三千の法門はただ法華経の本門寿量品の文(もん)の底(そこ)にしづめたり。竜樹(りゆうじゆ)・天親知(てんじんしつ)て、しかもいまだひろいいださず。ただ我が天台智者のみこれをいだけり。

一念三千は十界互具(じつかいごぐ)よりことはじまれり。法相と三論とは八界(はつかい)を立て十界(じつかい)をしらず。いわんや互具をしるべしや。倶舎・成実・律宗等は阿含経(あごんきよう)によれり。六界(ろつかい)を明(あきらめ)て四界(しかい)をしらず。十方唯有一仏(じつぽうゆいういちぶつ)、一方有仏(いつぽううぶつ)だにもあかさず。一切有情悉有仏性(いつさいうじようしつうぶつしよう)とこそとかざらめ。一人(いちにん)の仏性(ぶつしよう)なおゆるさず。しかるを律宗・成実宗等の十方有仏・有仏性なんど申(もう)すは仏滅後の人師(にんし)等の大乗の義を自宗に盗(ぬす)み入れたるなるべし。

例せば外典外道等は仏前の外道は執見(しゆうけん)あさし。仏後の外道は仏教をきゝみて自宗の非をしり、巧(たくみ)の心出現して仏教を盗(ぬす)み取り、自宗に入れて邪見もつともふかし。附仏教・学仏法成(がくぶつぽうじよう)等これなり。

外典も又々かくのごとし。漢土(かんど)に仏法いまだわたらざつし時の儒家(じゆけ)・道家(どうけ)は、いういうとして嬰児(えいじ)のごとくはかなかりしが、後漢已後に釈教(しやくきよう)わたりて対論(たいろん)の後、釈教やうやく流布(るふ)する程に、釈教の僧侶破戒のゆへに、或は還俗(げんぞく)して家にかへり、或は俗に心をあはせ、儒道(じゆどう)の内に釈教を盗み入れたり。止観の第五に云く「今の世に多く悪魔の比丘ありて戒を退(しりぞ)き家に還(かえ)り、駈策(くさく)を懼畏(くい)して更に道士(どうし)に越済(おつさい)す。また名利(みようり)を邀(もと)めて荘老を誇談(かだん)し、仏法の義を以て偸(ぬす)んで邪典に安(お)き、高きを押(お)して下(ひく)きに就(つ)け、尊(とうと)きを摧(くじ)きて卑(いやし)きに入れ、概(がい)して平等ならしむ」云云。弘(ぐ)に云く「比丘の身(み)と作(な)つて仏法を破滅す。もしは戒を退(しりぞ)き家に還るは、衛(えい)の元嵩等(げんすうら)がごとし。即ち在家の身を以て仏法を破壊(はえ)す。○この人正教(しようぎよう)を偸窃(ちゆうせつ)して邪典に助添(じよてん)す。○「高きを押して」等(とう)とは○道士(どうし)の心を以て二教の概(がい)となし、邪正(じやしよう)をして等しからしむ。義(ぎ)この理なし。曾て仏法に入つて、正(しよう)を偸(ぬす)んで邪を助け、八万・十二の高きを押して、五千・二篇の下(ひくき)に就(つ)け、用(も)つて彼(か)の典(てん)の邪鄙(じやひ)の教(おしえ)を釈するを「尊きを摧(くじ)きて卑(いやし)きに入れ」と名づく」等云云。この釈を見るべし。次上(つぎかみ)の心なり。

仏教またかくのごとし。後漢の永平に漢土に仏法わたりて、邪典やぶれて内典(ないでん)立つ。内典に南三(なんさん)・北七(ほくしち)の異執(いしゆう)をこりて蘭菊(らんぎく)なりしかども、陳・隋の智者大師にうちやぶられて、仏法二(ふたた)び群類をすくう。

 

その後(のち)、法相宗・真言宗天竺よりわたり、華厳宗また出来(しゆつらい)せり。これらの宗々(しゆうしゆう)の中(うち)に法相宗は一向天台宗に敵(かたき)を成(な)す宗(しゆう)、法門水火なり。しかれども玄奘(げんじよう)三蔵・慈恩大師、委細(いさい)に天台の御釈(おんしやく)を見ける程に、自宗の邪見ひるがへるかのゆへに、自宗をばすてねどもその心天台の帰伏(きぶく)すと見へたり。華厳宗と真言宗とは本(もと)は権経権宗(ごんきようごんしゆう)なり。善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智(こんごうち)三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心(かんじん)とし、その上に印と真言とを加(くわえ)て超過(ちようか)の心ををこす。その子細(しさい)をしらぬ学者等(ら)は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう。華厳宗は澄観(ちようかん)が時、華厳経の「心如工画師(しんによくえし)」の文(もん)に天台の一念三千の法門を偸(ぬす)み入れたり。人これをしらず。

日本我朝(わがちよう)には華厳寺の六宗(ろくしゆう)、天台真言已前にわたりけり。華厳・三論・法相、諍論(じようろん)水火なりけり。伝教(でんぎよう)大師この国にいでて、六宗の邪見をやぶるのみならず、真言宗が天台の法華経の理を盗み取(とつ)て自宗の極(ごく)とする事あらはれをはんぬ。伝教大師宗々の人師(にんし)の異執(いしゆう)をすてゝ専(もつぱ)ら経文(きようもん)を前(さき)として責(せめ)させ給(たまい)しかば、六宗の高徳(こうとく)八人・十二人・十四人・三百余人、並びに弘法(こうぼう)大師等(ら)せめをとされて、日本国一人もなく天台宗に帰伏(きぶく)し、南都・東寺(とうじ)・日本一州の山寺(さんじ)みな叡山(えいざん)の末寺(まつじ)となりぬ。また漢土の諸宗の元祖(がんそ)の天台に帰伏して謗法(ほうぼう)の失(とが)をまぬかれたる事もあらはれぬ。

また、その後(のち)やうやく世をとろへ、人の智あさくなるほどに、天台の深義(じんぎ)は習(なら)いうしないぬ。他宗の執心は強盛(ごうじよう)になるほどに、やうやく六宗七宗に天台宗をとされて、よわりゆくかのゆへに、結句(けつく)は六宗七宗等にもをよばず。いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて、始(はじめ)は檀那(だんな)やうやくかの邪宗にうつる。結句は天台宗の碩徳(せきとく)と仰がるゝ人々みなをちゆきて彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領(でんぱたしよりよう)みなたをされ、正法失(しようぼううせ)はてぬ。天照太神(てんしようだいじん)・正八幡(しようはちまん)・山王等諸(さんのうらもろもろ)の守護の諸大善神(ぜんじん)も法味(ほうみ)をなめざるか、国中(こくちゆう)を去り給(たもう)かの故に、悪鬼便(あつきたより)を得て国すでに破れなんとす。

 

ここに予(よ)、愚見(ぐけん)をもて前(ぜん)四十余年と後(ご)八年との相違をかんがへみるに、その相違多しといえども、まづ世間(せけん)の学者もゆるし、我が身にも、さもやとうちをぼうる事は二乗作仏(にじようさぶつ)・久遠実成(くおんじつじよう)なるべし。

法華経の現文(げんもん)を拝見するに、舎利弗は華光(けこう)如来、迦葉(かしよう)は光明(こうみよう)如来、須菩提(しゆぼだい)は名相(みようそう)如来、迦旃延(かせんねん)は閻浮那提金光(えんぶなだいこんこう)如来、目連(もくれん)は多摩羅跋旃檀香仏(たまらばせんだんこうぶつ)、富楼那(ふるな)は法明(ほうみよう)如来、阿難(あなん)は山海慧自在通王仏(せんかいえじざいつうおうぶつ)、羅〓羅(らごら)は蹈七宝華(とうしつぽうけ)如来、五百・七百は普明(ふみよう)如来、学無学(がくむがく)二千人は宝相(ほうそう)如来、摩訶波闍波提(まかはじやはだい)比丘尼・耶輸陀羅(やしゆたら)比丘尼等(とう)は一切衆生喜見(きけん)如来、具足千万光相如来等なり。

これらの人々は法華経を拝見したてまつるには尊きやうなれども、爾前(にぜん)の経々を披見(ひけん)の時はけを(興(きよう))さむる事どもをほし。その故は仏世尊(ぶつせそん)は実語(じつご)の人なり。故に聖人(しようにん)・大人(だいにん)と号す。外典・外道の中(うち)の賢人(けんじん)・聖人(せいじん)・天仙(てんせん)なんど申すは実語につけたる名なるべし。これらの人々に勝(すぐ)れて第一なる故に世尊(せそん)をば大人(だいにん)とは申すぞかし。この大人、「ただ一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」となのらせ給(たまい)て、「いまだ真実を顕(あら)わさず」、「世尊は法久(ほうひさ)しうして後(のち)、要(かなら)ずまさに真実を説くべし」、「正直(しようじき)に方便を捨つ」等云云。多宝仏証明(たほうぶつしようみよう)を加え、分身(ぶんじん)舌を出(いだ)す等は、舎利弗が未来の華光(けこう)如来、迦葉が光明如来等の説をば誰の人か疑網(ぎもう)をなすべき。

しかれども爾前の諸経もまた仏陀の実語なり。大方広仏(だいほうこうぶつ)華厳経に云く「如来の智慧の大薬王樹(だいやくおうじゆ)はただ二処(にしよ)において生長(しようちよう)の利益(りやく)をなすこと能(あた)わず。いわゆる二乗(にじよう)の無為広大の深抗(じんきよう)に堕(お)つると、及び善根(ぜんごん)を壊(やぶ)れる非器(ひき)の衆生の大邪見貪愛(とんあい)の水に〓(おぼ)るるとなり」等云云。この経文の心は雪山(せつせん)に大樹(だいじゆ)あり、無尽根(むじんこん)となづく。これを大薬王樹と号す。閻浮提(えんぶだい)の諸木(しよぼく)の中(うち)の大王なり。この木の高さは十六万八千由旬(ゆじゆん)なり。一閻浮提の一切の草木(そうもく)はこの木の根ざし枝葉華菓(しようけか)の次第に随(したがつ)て、華菓な(成)るなるべし。この木をば仏(ほとけ)の仏性(ぶつしよう)に譬(たと)へたり。一切衆生をば一切の草木にたとう。ただ、この大樹(だいじゆ)は火坑(かきよう)と水輪(すいりん)の中(うち)に生長(しようちよう)せず。二乗の心中をば火坑にたとえ、一闡提人(にん)の心中をば水輪にたとえたり。この二類(にるい)は永(なが)く仏になるべからずと申す経文(きようもん)なり。

大集経(だいじつきよう)に云く「二種の人あり。かならず死して活(い)きず、畢竟(ひつきよう)して恩を知り恩を報ずること能(あた)わず。一には声聞(しようもん)、二には縁覚(えんがく)なり。譬(たとえ)ば人ありて深坑(じんきよう)に墜堕(ついだ)し、この人自利(じり)し他を利すること能(あた)わざるが如(ごと)く、声聞・縁覚もまたまたかくのごとし。解脱(げだつ)の坑(あな)に堕(だ)して、自利し及び他を利することあたわず」等云云。

外典(げてん)三千余巻の所詮に二つあり。いわゆる孝(こう)と忠(ちゆう)となり。忠もまた孝の家よりいでたり。孝と申すは高(こう)なり。天高(たか)けれども孝よりも高からず。また孝とは厚(こう)なり。地あつけれども孝よりは厚(あつ)からず。聖賢(せいけん)の二類は孝の家よりいでたり。いかにいわんや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をほうずべし。その上舎利弗・迦葉等の二乗は二百五十戒・三千の威儀持整(いぎじせい)して、味(み)・浄(じよう)・無漏(むろ)の三静慮(さんじようりよ)、阿含経をきわめ、三界(さんがい)の見思(けんじ)を尽くせり。知恩報恩の人の手本なるべし。しかるを不知恩の人なりと世尊定(さだ)め給(たまい)ぬ。その故は父母の家を出(いで)て出家(しゆつけ)の身となるは必ず父母をすくはんがためなり。二乗は自身は解脱とをもえども、利他の行(ぎよう)かけぬ。たとい分分(ぶんぶん)の利他ありといえども、父母等を永不成仏(ようふじようぶつ)の道に入(い)るれば、かへりて不知恩の者となる。

維摩経(ゆいまきよう)に云く「維摩詰(ゆいまきつ)また文殊師利(もんじゆしり)に問う。何等(なんら)をか如来の種(しゆ)となす。答えて曰く、一切塵労(じんろう)の疇(ともがら)を如来の種となす。五無間(ごむけん)を以て具(ぐ)すといえども、なお能(よ)くこの大道意(だいどうい)を発(おこ)す」等云云。また云く「譬えば族姓(ぞくしよう)の子、高原陸土(こうげんりくど)には青蓮(しようれん)・芙蓉(ふよう)の衡華(こうけ)を生(しよう)ぜず。卑湿〓田(ひしつおでん)に乃(すなわ)ちこの華(はな)を生ずるがごとし」等云云。また云く「すでに阿羅漢を得て応真(おうしん)となる者は、終(つい)にまた道意を起(おこ)して仏法を具することあたわざるなり。根敗(こんぱい)の士のその五楽(ごらく)においてまた利することあたわざるがごとし」等云云。文(もん)の心は貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)等の三毒は仏(ほとけ)の種となるべし、殺父(しいぶ)等の五逆罪は仏種となるべし。高原の陸土には青蓮華生(しよう)ずべし。二乗は仏になるべからず。いう心は二乗の諸善と凡夫の悪と相対(そうたい)するに、凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじとなり。諸(もろもろ)の小乗経には悪をいましめ善をほむ。この経には二乗の善をそしり凡夫の悪をほめたり。かへて仏経(ぶつきよう)ともをぼへず、外道の法門のやうなれども、詮(せん)ずるところは二乗の永不成仏(ようふじようぶつ)をつよく定めさせ給(たもう)にや。

方等陀羅尼経(ほうどうだらにきよう)に云く「文殊、舎利弗に語(かた)らく、なお枯れたる樹(き)のごとく更(さら)に華(はな)を生(しよう)ずるやいなや。また、山水(さんすい)のごとく本処(ほんしよ)に還(かえ)るやいなや。折(お)れたる石、還(かえ)つて合(あ)うやいなや。〓(い)れる種芽(たねめ)を生(しよう)ずるやいなや。舎利弗の言く、否(いな)なり。文殊の言く、もし得(う)べからずんば、云何(いかん)ぞ我(われ)に菩提の記(き)を得るを問うて、歓喜(かんぎ)を生ずるや不(いな)や」等云云。文(もん)の心は、枯れたる木華(はな)さかず、山水(さんすい)山にかへらず、破(われ)たる石あはず、いれる種(たね)をいず、二乗またかくのごとし。仏種(ぶつしゆ)をいれり等(とう)となん。

大品(だいぼん)般若経に云く「諸の天子、今未(いま)だ三菩提心(さんぼだいしん)を発(おこ)さざる者、まさに発(おこ)すべし。もし声聞の正位(しようい)に入(い)れば、この人能く三菩提心を発さざるなり。何を以ての故に。生死のために障隔(しようきやく)を作(な)すが故に」等云云。文の心は二乗は菩提心ををこさざれば我随喜(われずいき)せじ、諸天は菩提心ををこせば我(われ)随喜せん。

首楞厳経(しゆりようごんきよう)に云く「五逆罪の人はこの首楞厳三昧を聞いて、阿耨菩提心(あのくぼだいしん)を発(おこ)せば還(かえ)つて仏(ほとけ)と作(な)るを得ん。世尊(せそん)、漏尽(ろじん)の阿羅漢はなお破器(はき)のごとく、永(なが)くこの三昧(さんまい)を受くるに堪忍(かんにん)せず」等云云。

浄名経(じようみようきよう)に云く「それ汝に施(せ)す者は福田(ふくでん)と名づけず。汝を供養せん者は三悪道(さんあくどう)に堕(だ)す」等云云。文(もん)の心は迦葉・舎利弗等の聖僧を供養せん人天(にんでん)等は必ず三悪道に堕(お)つべしとなり。これらの聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目(がんもく)、一切衆生の導師とこそをもひしに、幾許(いくばく)の人天大会(だいえ)の中(うち)にして、かう度々(たびたび)仰せられしは本意(ほんい)なかりし事なり。ただ詮(せん)ずるところは、我御弟子(わがみでし)を責めころさんとにや。

このほか牛(ご)・驢二乳(ろににゆう)、瓦器(がき)・金器(こんき)、蛍火(けいか)・日光(につこう)等の無量の譬(たと)えをとて二乗を呵責(かしやく)せさせ給(たまい)き。一言二言(いちごんにごん)ならず、一日二日(いちにちににち)ならず、一月二月(ひとつきふたつき)ならず、一年二年ならず、一経二経ならず、四十余年(しじゆうよねん)が間(あいだ)、無量無辺の経々に、無量の大会(だいえ)の諸人に対して、一言(いちごん)もゆるし給(たもう)事もなく、そしり給(たもい)しかば、世尊の不妄語なりと我(われ)もしる、人もしる、天もしる、地もしる。一人二人(いちにんににん)ならず百千万人、三界(さんがい)の諸天・竜神・阿修羅・五天・四州・六欲・色(しき)・無色・十方世界より雲集(うんじゆう)せる人天(にんてん)・二乗・大菩薩等、皆これをしる、また皆これをきく。各々国々(おのおのくにぐに)へ還(かえ)りて、娑婆世界の釈尊の説法を彼々(かれがれ)の国々にして一々にかたるに、十方無辺の世界の一切衆生一人もなく、迦葉・舎利弗等は永不成仏(ようふじようぶつ)の者、供養してはあしかりぬべしとしりぬ。

しかるを後八年(ごはちねん)の法華経に忽(たちまち)に悔還(くいかえ)して、二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに、人天大会信仰をなすべしや。用(もち)ゆべからざる上、先後(せんご)の経々に疑網(ぎもう)をなし、五十余年の説教みな虚妄(こもう)の説となりなん。されば「四十余年未顕真実」等の経文はあらまさせか。天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給(たもう)かと疑網するところに、げに〓〓しげに劫国名号(こうこくみようごう)と申して、二乗成仏の国をさだめ、劫(こう)をしるし、所化(しよけ)の弟子なんどを定めさせ給(たま)へば、教主釈尊の御語(おんことば)すでに二言(にごん)になりぬ。自語相違(じごそうい)と申すはこれなり。外道が仏陀を大妄語の者と咲(わら)いしことこれなり。人天大会けを(興(きよう))さめてありし程に、その時に東方宝浄世界の多宝如来、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大七宝塔(だいしつぽうとう)に乗じて、教主釈尊の人天大会に自語相違をせめられて、とのべ(左宣)かうのべ(右述)、さま〓〓に宣(のべ)させ給いしかども、不審なをはるべしともみへず、もてあつかいてをはせし時、仏前に大地より涌現(ゆげん)して虚空(こくう)にのぼり給う。例(れい)せば暗夜(あんや)に満月の東山(とうざん)より出(いず)るがごとし。七宝(しつぽう)の塔大虚(おおぞら)にかゝらせ給いて、大地にもつかず大虚(おおぞら)にも付(つ)かせ給はず、天中(そらなか)に懸(かか)りて、宝塔の中(うち)より梵音声(ぼんのんじよう)を出(いだ)して証明(しようみよう)して云く、「爾(そ)の時に宝塔の中より大音声(だいおんじよう)を出して歎(ほ)めて言(のたま)わく、善哉(ぜんざい)善哉。釈迦牟尼世尊、能(よ)く平等大慧(びようどうだいえ)・教菩薩法(きようぼさつぽう)・仏所護念(ぶつしよごねん)の妙法華経を以て、大衆(だいしゆ)のために説きたもう。かくのごとしかくのごとし、釈迦牟尼世尊、所説のごときは皆これ真実なり」等云云。

また云く「爾の時に世尊、文殊師利等の無量百千万億旧住(ひやくせんまんのくくじゆう)娑婆世界の菩薩乃至人非人等(ないしにんぴにんとう)の一切の衆(しゆ)の前において大神力(だいじんりき)を現じたもう。広長舌(こうちようぜつ)を出(いだ)して、上梵世(かみぼんぜ)に至らしめ、一切の毛孔(もうく)より、乃至十方世界衆(もろもろ)の宝樹(ほうじゆ)の下(もと)の師子の座の上の諸仏もまたまたかくのごとく広長舌を出(いだ)し、無量の光を放ちたもう」等云云。また云く「十方より来りたまえる諸の分身(ふんじん)の仏をして、各(おのおの)本土に還らしむ。乃至多宝仏の塔、還(かえつ)て故(もと)のごとくしたもうべし」等云云。

大覚(だいがく)世尊初成道(しよじようどう)の時、諸仏十方に現じて釈尊を慰喩(いゆ)し給う上、諸の大菩薩を遣(つかわ)しき。般若経の御時は釈尊長舌を三千にをほひ、千仏十方に現じ給う。金光明経には四方の四仏現ぜり。阿弥陀経には六方の諸仏舌を三千にををう。大集経(だいじつきよう)には十方の諸仏菩薩大宝坊(だいほうぼう)にあつまれり。

これらを法華経に引き合(あわ)せてかんがうるに、黄石(こうせき)と黄金(おうごん)と、白雲(はくうん)と白山(はくさん)と、白氷(はくひよう)と銀鏡(ぎんきよう)と、黒色(こくしよく)と青色(せいしよく)とをば、翳眼(えいがん)の者・眇目(みようもく)の者・一眼(いちげん)の者・邪眼(じやげん)の者はみたがへつべし。華厳経には先後の経なければ仏語相違なし。なにゝつけてか大疑(たいぎ)いで来(く)べき。大集経・大品経(だいぼんきよう)・金光明経・阿弥陀経等は諸の小乗経の二乗を弾呵(たんが)せんがために十方に浄土をとき、凡夫・菩薩を欣慕(ごんぼ)せしめ、二乗をわづらはす。小乗経と諸大乗経と一分(いちぶん)の相違あるゆへに、或は十方に仏(ほとけ)現じ給ひ、或は十方より大菩薩をつかはし、或は十方世界にもこの経をとくよしをしめし、或は十方より諸仏あつまり給う。或は釈尊舌を三千にをほひ、或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給う。これひとえに諸の小乗経の「十方世界に唯一仏(ただいちぶつ)のみ有り」ととかせ給しをもひをやぶるなるべし。法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違出来(しゆつらい)して、舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天(にんてん)等に「将(まさ)に魔(ま)の仏と作(な)るに非(あら)ずや」とをもはれさせ給う大事にはあらず。しかるを華厳・法相・三論・真言・念仏等の翳眼(えいがん)の輩(ともがら)、彼々(かれがれ)の経々(きようぎよう)と法華経とは同じとうちをもへるは、つたなき眼(まなこ)なるべし。

ただし在世(ざいせ)は四十余年をすてて法華経につき候(そうろう)ものもやありけん。仏滅後にこの経文を開見して信受せんことかたかるべし。まづ一(いち)には爾前の経々は多言(たごん)なり、法華経は一言(いちごん)なり。爾前の経々は多経(たきよう)なり、この経は一経(いつきよう)なり。彼々(かれがれ)の経々は多年なり、この経は八年なり。仏は大妄語の人永く信ずべからず。不信の上に信を立てば爾前の経々は信ずる事(こと)もありなん。法華経は永(なが)く信ずべからず。当世(とうせい)も法華経をばみな信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。その故(ゆえ)は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一(いつ)なるやうをとく人をば悦(よろこん)で帰依し、別々なるなんど申(もう)す人をば用(もち)いず。たとい用ゆれども本意(ほんい)なき事とをもへり。

日蓮云く、日本に仏法わたりてすでに七百(しちひやく)余年、ただ伝教大師一人(いちにん)ばかり法華経をよめりと申すをば、諸人(しよにん)これを用(もちい)ず。ただし法華経に云く「もし須弥(しゆみ)を接(とつ)て他方の無数(むしゆ)の仏土に擲(な)げ置(お)かんも、またいまだ為(こ)れ難(かた)しとせず。乃至もし仏滅後に悪世(あくせ)の中(うち)において、能くこの経を説かん、これ則ち為(こ)れ難(かた)し」等云云。日蓮が強義(ごうぎ)、経文(きようもん)には普合(ふごう)せり。法華経の流通(るつう)たる涅槃経に、末代濁世(まつだいじよくせ)に謗法(ほうぼう)の者は十方(じつぽう)の地(ち)のごとし。正法(しようぼう)の者は爪上(そうじよう)の土(つち)のごとしと、とかれて候(そうろう)はいかんがし候べき。日本の諸人(しよにん)は爪上の土か、日蓮は十方の土か、よく〓〓思惟(しゆい)あるべし。賢王の世には道理かつべし。愚主(ぐしゆ)の世に非道先(さき)をすべし。聖人の世に法華経の実義顕(あらわ)るべし等(とう)と心うべし。この法門は迹門(しやくもん)と爾前(にぜん)と相対(そうたい)して爾前の強きやうにをぼう。もし爾前つよるならば、舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし。いかんがなげかせ給(たもう)らん。

 

二には、教主釈尊は住劫(じゆうこう)第九の減(げん)、人寿(にんじゆ)百歳の時、師子〓王(ししきようおう)には孫、浄飯王(じようぼんおう)には嫡子(ちやくし)、童子悉達太子一切義成就(しつたたいしいつさいぎじようじゆ)菩薩これなり。御年(おんとし)十九の御出家(ごしゆつけ)、三十成道(じようどう)の世尊、始め寂滅道場にして実報華王(じつぽうけおう)の儀式を示現して、十玄六相(じゆうげんろくそう)・法界円融(ほうかいえんゆう)・頓極微妙(とんごくみみよう)の大法を説(とき)給い、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲集(うんじゆう)せり。土(ど)といひ、機といひ、諸仏といひ、始(し)といひ、何事につけてか大法(だいほう)を秘(ひ)し給うべき。

されば経文(きようもん)には「自在力(じざいりき)を顕現(けんげん)し、為(ため)に円満経(えんまんぎよう)を説く」等云云。一部六十巻は一字一点もなく円満経なり。たとへば如意宝珠(によいほうじゆ)は一珠(いちじゆ)も無量珠も共に同じ。一珠も万宝(まんぽう)を尽(つく)して雨(ふら)し、万珠も万宝を尽すがごとし。華厳経は一字も万字もただ同事(おなじこと)なるべし。「心仏及衆生(しんぶつぎゆうしゆじよう)」の文(もん)は華厳宗の肝心(かんじん)なるのみならず、法相・三論・真言・天台の肝要(かんよう)とこそ申し候(そうら)へ。これら程いみじき御経(おんきよう)に何事をか隠(かく)すべき。なれども二乗闡提不成仏(せんだいふじようぶつ)ととかれしは珠(たま)のきずとみゆる上、三処(さんしよ)まで始成正覚(しじようしようがく)となのらせ給(たまい)て久遠実成(くおんじつじよう)の寿量品を説きかくさせ給き。珠(たま)の破(われ)たると、月に雲のかゝれると、日の〓(しよく)したるがごとし。不思議なりしことなり。

阿含・方等・般若・大日経等は仏説なればいみじき事なれども、華厳経にたいすればいうにかいなし。かの経に秘せんこと、これらの経々にとかるべからず。されば諸(もろもろの)阿含経に云く「初(はじめ)て成道して」等云云。大集経に云く「如来成道して始(はじめ)て十六年」等云云。浄名経に云く「始め仏 樹に坐して力魔を降(ごう)す」等云云。大日経に云く「我(われ)昔道場に坐して」等云云。般若仁王経(にんのうきよう)に云く「二十九年」等云云。これらは言うにたらず。ただ耳目(じもく)ををどろかす事は、無量義経に華厳経の唯心法界、方等(ほうどう)般若経の海印三昧(かいいんざんまい)・混同無二等の大法(だいほう)をかきあげて、或は「未顕真実」或は「歴劫修行(りやくこうしゆぎよう)」等下程(くだすほど)の御経(おんきよう)に、「我先(われさき)に道場菩提樹の下(もと)に端坐(たんざ)すること六年、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんぼだい)を成(じよう)ずることを得たり」と初成道(しよじようどう)の華厳経の始成(しじよう)の文(もん)に同ぜられし、不思議と打思(うちおもう)ところに、これは法華経の序分(じょぶん)なれば正宗(しようしゆう)の事をばいわずもあるべし。

法華経の正宗、略開三・広(こう)開三の御時(おんとき)、「唯(ただ)仏と仏とのみ乃(いま)し能(よ)く諸法(しよほう)の実相(じつそう)を究尽(くじん)す」等、「世尊は法久しうして後(のち)」等、「正直(しようじき)に方便を捨(す)てて」等、多宝仏 迹門八品(はつぽん)を指(さし)て「皆是真実(みなこれしんじつ)なり」と証明(しようみよう)せられしに何事をか隠(かく)すべき。なれども久遠寿量(くおんじゆりよう)をば秘(ひ)せさせ給(たまい)て、「我始め道場に坐し樹(き)を観じてまた経行(きようぎよう)す」等云云。最(さい)第一の大不思議なり。

されば弥勒菩薩涌出品(ゆじゆつほん)に四十余年の未見今見(みけんこんけん)の大菩薩を、仏(ほとけ)「爾(しか)して乃(すなわ)ちこれを教化(きようけ)して初めて道心を発(おこ)さしむ」等ととかせ給いしを疑(うたがつ)て云く「如来太子たりし時、釈(しやく)の宮(みや)を出でて伽耶城(がやじよう)を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成(じよう)ずることを得たまえり。これより已来(このかた)、始めて四十余年を過ぎたり。世尊云何(いかん)ぞこの少時(しようじ)において大(おおい)に仏事(ぶつじ)を作(な)したまえる」等云云。教主釈尊これらの疑(うたが)いを晴(はら)さんがために寿量品をとかんとして、爾前迹門のきゝ(所聞)を挙(あげ)て云く、「一切世間の天人(てんにん)及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏、釈氏(しやくし)の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂(おも)えり」等云云。正(まさ)しくこの疑いに答(こたえ)て云く「しかるに善男子(ぜんなんし)、我実(われじつ)に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫(まんのくなゆたこう)なり」等云云。

 

華厳ないし般若・大日経等は二乗作仏を隠(かく)すのみならず、久遠実成をときかくさせ給へり。これらの経々に二つの失(とが)あり。一(いつ)には「行布(ぎようふ)を存する故に、なおいまだ権(ごん)を開(かい)せず」。迹門の一念三千をかくせり。二(に)には「始成(しじよう)を言う故に曾(かつ)ていまだ迹(しやく)を発(ほつ)せず」。本門の久遠(くおん)をかくせり。これらの二つの大法(だいほう)は一代の綱骨(こうこつ)・一切経の心髄なり。

迹門方便品(ほうべんぽん)は一念三千・二乗作仏を説(とい)て爾前二種の失一(とがひと)つを脱(のが)れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほつしやくけんぽん)せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし。根なし草の波上(はじよう)に浮(うかべ)るににたり。本門にいたりて、始成正覚(しじようしようがく)をやぶれば、四教(しきよう)の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界(じつかい)の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕(あら)わす。これ即ち本因本果の法門なり。九界(くかい)も無始の仏界(ぶつかい)に具(ぐ)し、仏界も無始の九界に備(そなわり)て、真(まこと)の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。

かうてかへりみれば、華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦、方等・般若の、金光明経の、阿弥陀経の、大日経等の権仏(ごんぶつ)等は、この寿量の仏(ほとけ)の天月(てんげつ)しばらく影を大小の器(うつわ)にして浮給(うかべたも)うを、諸宗の学者等(ら)近くは自宗に迷(まよ)い、遠くは法華経の寿量品をしらず、水中の月に実月(じつげつ)の想(おもい)をなし、或は入(いり)て取(とら)んとをもひ、或は縄をつけてつなぎとどめんとす。天台云く「天月(てんげつ)を識(し)らずして、ただ池月(ちげつ)を観(かん)ず」等云云。

日蓮案じて云く、二乗作仏すらなお爾前づよにをぼゆ。久遠実成はまたにるべくもなき爾前づりなり。その故は爾前と法華と相対(そうたい)するになお爾前こわ(強)き上、爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず。本門十四品も涌出(ゆじゆつ)・寿量の二品を除(のぞい)ては皆始成を存せり。双林(そうりん)最後の大般涅槃経四十巻(しじつかん)・その外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身(ほつしん)の無始無終はとけども応身(おうじん)報身(ほうじん)の顕本(けんぽん)はとかれず。いかんが広博(こうはく)の爾前(にぜん)・本迹(ほんじやく)・涅槃等の諸大乗経をばすてゝ、ただ涌出・寿量の二品には付くべき。

されば法相宗と申す宗は西天(せいてん)の仏滅後九百年に無著(むじやく)菩薩と申す大論師(だいろんし)有(ましま)しき。夜は都率(とそつ)の内院にのぼり、弥勒菩薩に対面して一代聖教(しようぎよう)の不審をひらき、昼は阿輸舎国(あしゆしやこく)にして法相の法門を弘め給(たも)う。かの御弟子(みでし)は世親(せしん)・護法(ごほう)・難陀(なんだ)・戒賢等(かいげんとう)の大論師(だいろんし)なり。戒日(かいにち)大王頭(こうべ)をかたぶけ、五天幢(はたほこ)を倒してこれに帰依す。尸那国(しなこく)の玄奘(げんじよう)三蔵、月氏(がつし)にいたりて十七(じゅうしち)年、印度百三十余の国々を見きゝて、諸宗をばふりすて、この宗を漢土にわたして、太宗皇帝と申す賢王にさづけ給い、肪(ほう)・尚(しよう)・光(こう)・基(き)を弟子として大慈恩寺並に三百六十余箇国に弘め給(たも)う。日本国には人王(にんおう)三十七代孝徳天皇の御宇(ぎよう)に道慈(どうじ)・道昭(どうしよう)等ならいわたして山階寺(やましなでら)にあがめ給へり。三国第一の宗なるべし。この宗の云く、始め華厳経より終り法華・涅槃経にいたるまで、無性有情(むしよううじよう)と決定性(けつじようしよう)の二乗は永(なが)く仏(ほとけ)になるべからず。仏語(ぶつご)に二言(にごん)なし。一度(ひとたび)永不成仏(ようふじようぶつ)と定め給(たまい)ぬる上は日月(じつげつ)は地に落ち給(たも)うとも、大地は反覆(はんぷく)すとも、永く変改(へんかい)有るべからず。されば法華経・涅槃経の中(うち)にも、爾前の経々に嫌(きらい)し無性有情・決定性を正(まさし)くついさして成仏すとはとかれず。まづ眼(まなこ)を閉(とじ)て案ぜよ。法華経・涅槃経に決定性・無性有情、正(まさし)く仏になるならば、無著(むじやく)・世親ほどの大論師、玄奘・慈恩ほどの三蔵人師(にんし)、これをみざるべしや。これをのせざるべしや。これを信じて伝えざるべしや。弥勒菩薩に問いたてまつらざるべしや。汝は法華経の文(もん)に依るやうなれども、天台・妙楽・伝教の僻見(びやくけん)を信受(しんじゆ)して、その見(けん)をもつて経文をみるゆえに、爾前に法華経は水火なりと見るなり。

華厳宗と真言宗は法相・三論にはにるべくもなき超過(ちようか)の宗なり。二乗作仏・久遠実成は法華経に限らず、華厳経・大日経に分明(ふんみよう)なり。華厳宗の杜順(とじゆん)・智儼(ちごん)・法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空等は天台・伝教にはにるべくもなき高位の人、そのうえ善無畏等は大日如来より糸みだれざる相承(そうじよう)あり。これらの権化(ごんげ)の人いかでか〓(あやま)りあるべき。随(したがつ)て華厳経には「或は釈迦、仏道を成(じよう)じ已(おわ)つて不可思議劫を経(へ)るを見る」等云云。大日経には「我(われ)は一切の本初なり」等云云。なんぞただ久遠実成、寿量品に限らん。たとえば井底(せいてい)の蝦(かえる)が大海(だいかい)を見ず、山左(やまかつ)が洛中をしらざるがごとし。汝ただ寿量の一品(いつぽん)を見て、華厳・大日経等の諸経をしらざるか。そのうえ月氏・尸那(しな)・新羅・百済等にも一同に二乗作仏・久遠実成は法華経に限るというか。

されば八箇年(はちかねん)の経は四十余年の経々には相違せりというとも、先判(せんぱん)・後判(ごはん)の中(うち)には後判につくべしというとも、なお爾前づりにこそをぼうれ。また、ただ在世(ざいせ)ばかりならばさもあるべきに、滅後に居(こ)せる論師(ろんじ)・人師(にんし)・多(おおく)は爾前づりにこそ候(そうら)へ。かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば、聖賢はやうやくかくれ、迷者(めいじや)はやうやく多し。世間の浅き事すら、なおあやまりやすし。いかにいわんや出世の深法〓(じんぽうあやまり)なかるべしや。犢子(とくし)・方広(ほうこう)が聡敏(そうびん)なりし、なお大小乗経(だいしようじようきよう)にあやまてり。無垢(むく)・摩沓(まとう)が利根なりし、権実二教を弁(わきまえ)ず。正法(しようぼう)一千年の内(うち)は在世も近く、月氏の内なりし、すでにかくのごとし。いわんや尸那(しな)・日本等は国もへだて、音もかはれり。人の根(こん)も鈍なり。寿命(じゆみよう)も日あさし。貪瞋痴(とんじんち)も倍増せり。仏(ほとけ)世を去(さり)てとし久し。仏経みなあやまれり。誰の智解(ちげ)か直(なお)かるべき。仏涅槃経に記して云く、「末法には正法の者は爪上(そうじよう)の土、謗法の者は十方の土(つち)」とみへぬ。法滅尽経に云く、「謗法の者は恒河沙(ごうがしや)、正法の者は一二(いちに)の小石(しようせき)」と記(き)しをき給う。千年・五百年に一人(いちにん)なんども正法の者ありがたからん。世間の罪に依(より)て悪道に堕(おつ)る者は爪上の土、仏法によて悪道に堕(おつ)る者は十方の土。俗より僧、女より尼多く悪道に堕つべし。

 

ここに日蓮案じて云く、世すでに末代に入(いり)て二百余年、辺土に生(しよう)をうく。そのうえ下賤、そのうえ貧道(ひんどう)の身(み)なり。輪回六趣(りんねろくしゆ)の間には人天(にんてん)の大王と生(うまれ)て、万民をなびかす事、大風(だいふう)の小木(しようぼく)の枝を吹(ふく)がごとくせし時も仏(ほとけ)にならず。大小乗経の外凡(げぼん)・内凡(ないぼん)の大菩薩と修(しゆ)しあがり、一劫・二劫・無量劫を経(へ)て菩薩の行を立て、すでに不退に入(いり)ぬべかりし時も、強盛(ごうじよう)の悪縁にをとされて仏(ほとけ)にもならず。しらず大通結縁(だいつうけちえん)の第三類の存世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来(きたれ)るか。

法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍(しのび)し程に、権大乗・実大乗経を極(きわ)めたるやうなる道綽(どうしやく)・善導(ぜんどう)・法然等(ほうねんら)がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあながちに下(くだ)し、「理深解微(りじんげみ)」と立て、「未有一人得者(みういちにんとくしや)」「千中無一(せんちゆうむいつ)」等(とう)とすかししものに、無量生(むりようしよう)が間(あいだ)、恒河沙の度(たび)すかされて権経(ごんぎよう)に堕(おち)ぬ。権経より小乗経に堕ぬ。外道外典に堕ぬ。結句は悪道に堕けりと深くこれをしれり。

日本国にこれをしれる者、ただ日蓮一人(いちにん)なり。これを一言(いちごん)も申し出(いだ)すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来(きた)るべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟(しゆい)するに、法華経・涅槃経等にこの二辺(にへん)を合(あわ)せ見るに、いわずわ今生(こんじよう)は事なくとも、後生(ごしよう)は必ず無間(むけん)地獄に堕(おつ)べし。いうならば三障四魔必ず競(きそ)い起(おこ)るべしとし(知)ぬ。二辺の中(うち)にはいうべし。王難等出来(しゆつらい)の時は退転すべくは一度に思い止(とど)むべし、と且(しばら)くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。われら程の小力(しようりき)の者須弥山(しゆみせん)はなぐとも、われら程の無通の者 乾草(かれくさ)を負(おい)て劫火(ごうか)にはやけずとも、われら程の無智の者恒沙の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈(いつくいちげ)も末代(まつだい)に持(たも)ちがたしと、とかるゝはこれなるべし。今度強盛(このたびごうじよう)の菩提心ををこして退転せじと願(がん)しぬ。

 

すでに二十余年が間(あいだ)この法門を申すに、日々月々年々(ひびつきづきとしどし)に難かさなる。少々の難はかずしらず。大事の難四度(しど)なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我が身命(しんみよう)に及ぶ。そのうえ弟子といひ、檀那(だんな)といひ、わづかの聴聞(ちようもん)の俗人(ぞくじん)なんど来(きたり)て重科(じゆうか)に行(おこな)わる。謀反(むほん)なんどの者のごとし。

法華経の第四に云く「しかもこの経は如来の現在すらなお怨嫉(おんしつ)多し、いわんや滅度の後(のち)をや」等云云。第二に云く「経を読誦(どくじゆ)し書持(しよじ)することあらん者を見て、軽賤憎嫉(きようせんぞうしつ)して結恨(けつこん)を懐(いだ)かん」等云云。第五に云く「一切世間怨(あだ)多くして信じ難(がた)し」等云云。また云く「諸の無智の人の悪口罵詈等(あつくめりとう)するあらん」。また云く「国王・大臣・婆羅門・居士(こじ)に向(むか)つて誹謗(ひほう)して我が悪を説いて、これ邪見の人なりと謂わん」。また云く「数数擯出(しばしばひんずい)せられん」等云云。また云く「杖木瓦石(じようもくがしやく)もてこれを打擲(ちようちやく)せん」等云云。涅槃経に云く「爾(そ)の時に多く無量の外道あつて、和合して共に摩訶陀(まかだ)の国王阿闍世(あじやせ)の所(もと)に往(ゆ)く。○今は唯(た)だ一(ひとり)の大悪人あり瞿曇沙門(くどんしやもん)なり。○一切世間の悪人、利養のための故に、その所に往集し眷属(けんぞく)となつて、能く善を修(しゆ)せず。呪術の力の故に、迦葉及び舎利弗・目〓連(もつけんれん)を調伏(ちようぶく)す」等云云。

天台云く「いかにいわんや未来をや。理、化(け)しがたきに在り」等云云。妙楽云く「障(さわ)りいまだ除かざる者を怨(おん)となし、聞くを喜ばざる者を嫉(しつ)と名づく」等云云。南三北七の十師(じゆつし)・漢土無量の学者、天台を怨敵(おんてき)とす。得一(とくいつ)云く「咄(つたな)いかな智公(ちこう)、汝はこれ誰(た)が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根(ぜつこん)を以て、覆面舌(ふめんぜつ)の所説を謗(ほう)ずる」等云云。

東春(とうじゆん)に云く「問う、在世の時、許多(あまた)の怨嫉(おんしつ)あり。仏(ほとけ)滅度の後、この経を説く時、何が故ぞまた留難(るなん)多きや。答えて云く、俗に言うがごときは良薬は口に苦(にが)しと。この経五乗の異執(いしゆう)を廃して一極(いちごく)の玄宗(げんしゆう)を立つるが故に凡を斥(そし)り聖(しよう)を呵(か)し、大を排(はら)い小を破り、天魔を銘(なづけ)て毒虫(どくちゆう)となし、外道を説いて悪鬼(あつき)となし、執小(しゆうしよう)を貶(そし)つて貧賤(ひんせん)となし、菩薩を拙(はじ)しめて新学(しんがく)となす。故に天魔は聞くを悪(にく)み、外道は耳に逆(さから)い、二乗は驚怪(きようけ)し、菩薩は怯行(きようぎよう)す。かくのごときの徒(やから)、悉く留難をなす。多怨嫉(たおんしつ)の言(ごん)、あに唐(むな)しからんや」等云云。

顕戒論(けんかいろん)に云く「僧統奏(そつとうそう)して曰く、西夏(せいか)に鬼弁(きべん)婆羅門あり、東土に巧言(ぎようげん)を吐(は)く禿頭(とくず)の沙門(しやもん)あり。これすなわち物類冥召(もつるいみようしよう)して世間を誑惑(おうわく)す等云云。論じて云く、○昔は斉朝(せいちよう)の光統(こうず)を聞き、今は本朝の六統(ろくとう)を見る。実(まこと)なるかな、法華のいかにいわんや」等云云。秀句に云く、「代(よ)を語れば則ち像(ぞう)の終り、末(まつ)の初め、地を尋(たず)ぬれば則ち唐の東、羯(かつ)の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁の生(しよう)、闘諍(とうじよう)の時なり。経に云く「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)、況滅度後(きようめつどご)」。この言良(ことばまこと)に以(ゆえ)あるなり」等云云。

それ小児(しように)に灸治(やいと)を加(くわう)れば必ず母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば定(さだ)めて口に苦(にが)しとうれう。在世なをしかり。ないし像末辺土をや。山に山をかさね、波に波をたゝみ、難に難を加へ、非に非をますべし。像法(ぞうぼう)の中(うち)には天台一人(いちにん)、法華経一切経をよめり。南北これをあだみしかども、陳・隋二代の聖主眼前に是非を明(あきら)めしかば敵(かたき)ついに尽きぬ。像の末(すえ)に伝教一人、法華経一切経を仏説(ぶつせつ)のごとく読み給へり。南都七大寺蜂起せしかども、桓武ないし嵯峨等の賢主我(われ)と明(あき)らめしかばまた事なし。

今末法の始め二百余年なり。況滅度後のしるしに闘諍(とうじよう)の序(ついで)となるべきゆへに、非理を前(さき)として、濁世(じよくせ)のしるしに、召(め)し合(あわ)せられずして流罪(るざい)ないし寿(いのち)にもをよばんとするなり。されば日蓮が法華経の智解(ちげ)は天台・伝教には千万が一分(いちぶん)も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。定(さだん)で天の御計(おんはから)いにもあづかるべしと存ずれども、一分のしるしもなし。いよ〓〓重科(じゆうか)に沈む。還(かえつて)この事を計(はか)りみれば我(わが)身の法華経の行者にあらざるか。また諸天善神等のこの国をすてゝ去り給へるか。かた〓〓疑はし。

しかるに法華経の第五の巻(まき)勧持品の二十行の偈は、日蓮だにもこの国に生(うま)れずは、ほとをど世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪(こおうざい)にも堕(おち)ぬべし。経に云く「有諸無智人悪口罵詈等(うしよむちにんあつくめりとう)」、「加刀杖瓦石(かとうじようがしやく)」等云云。

今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加(くわえ)らるる者ある。日蓮なくばこの一偈(いちげ)の未来記は妄語となりぬ。「悪世(あくせ)の中(うち)の比丘(びく)は邪智(じやち)にして心諂曲(てんごく)に」。また云く「白衣(びやくえ)のために法を説いて、世に恭敬(くぎよう)せらるること六通の羅漢のごとくならん」。これらの経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師(ほつし)なくば世尊はまた大妄語の人、「常に大衆(だいしゆ)の中(うち)に在つて、乃至国王・大臣・婆羅門居士に向つて」等、今の世の僧等日蓮を讒奏(ざんそう)して流罪(るざい)せずばこの経文むなし。また云く「数々擯出(しばしばひんずい)せられん」等云云。日蓮、法華経のゆえに度々(たびたび)ながされずば数々(さくさく)の二字いかんがせん。この二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。いわんや余人をや。末法の始(はじめ)のしるし、「恐怖悪世中(くふあくせちゆう)」の金言(きんげん)のあふゆへに、ただ日蓮一人(いちにん)これをよめり。例せば世尊が付法蔵経(ふほうぞうぎよう)に記(き)して云く、「我(わが)滅後一百年(いちひやくねん)に阿育(あいく)大王という王あるべし」。摩耶経(まやきよう)に云く「我滅後六百年に竜樹菩薩という人南天竺(なんてんじく)に出(いづ)べし」。大悲経に云く、「我滅後六十年に末田地(までんだい)という者地を竜宮につ(築)くべし」。これら皆仏記(ぶつき)のごとくなりき。しからずば誰(たれ)か仏教(ぶつきよう)を信受すべき。しかるに仏、「恐怖悪世(くふあくせ)」「然後未来世(ねんごみらいせ)」「末世法滅時(まつせほうめつじ)」「後五百歳」なんど正(しよう)・妙(みよう)の二本に正(まさ)しく時を定めたもう。

当世(とうせい)法華の三類の強敵(ごうてき)なくば誰(だれ)か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語(ぶつご)をたすけん。南三北七、七大寺(しちだいじ)等なお像法(ぞうぼう)の法華経の敵(かたき)の内(うち)、いかにいわんや当世の禅・律・念仏者等は脱(のがる)べしや。経文に我が身普合(ふごう)せり。御(ご)勘気(かんき)をかほ(蒙)ればいよ〓〓悦(よろこ)びをますべし。例せば小乗の菩薩の未断惑(みだんわく)なるが「願兼於業(がんけんおごう)」と申して、つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕(おち)て大苦(だいく)をうくるを見て、かたのごとくその業(ごう)を造(つくり)て、願(ねがつ)て地獄に堕(おち)て苦(くるしみ)に同(どう)じ、苦に代(かわ)れるを悦(よろこ)びとするがごとし。これもまたかくのごとし。当時の責(せめ)はたう(堪)べくもなけれども、未来の悪道(あくどう)を脱(だつ)すらんとをもえば悦ぶなり。

 

ただし世間の疑(うたがい)といゐ、自心の疑いと申し、いかでか天扶(たす)け給(たまわ)ざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言(ごせいごん)あり。法華経の行者にはさるになりとも法華経の行者とがう(号)して、早々(そうそう)に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、その義なきは我身(わがみ)法華経の行者にあらざるか。この疑(うたがい)はこの書の肝心、一期(いちご)の大事なれば、処々(しよしよ)にこれをかく上、疑(うたがい)を強くして答(こたえ)をかまうべし。

季札(きさつ)といゐし者は心のやくそく(約束)をたがへじと、王の重宝(じゆうほう)たる剣(つるぎ)を徐君(じようくん)が塚にかく。王寿(おうじゆ)と云いし人は河の水を飲(のみ)て金(きん)の鵞目(ぜに)を水に入れ、公胤(こういん)といゐし人は腹をさいて主君の肝(きも)を入る。これらは賢人なり。恩をほう(報)ずるなるべし。

いわんや舎利弗・迦葉等の大聖(だいしよう)は二百五十戒・三千の威儀(いぎ)一つもかけず、見思(けんじ)を断じ三界(さんがい)を離れたる聖人なり。梵・帝・諸天の導師、一切衆生の眼目(がんもく)なり。しかるに四十余年が間、永不成仏(ようふじようぶつ)と嫌(きら)いすてはてられてありしが、法華経の不死の良薬をなめて〓種(しようしゆ)の生(おい)、破石(はしやく)の合(あい)、枯木(かれき)の華菓(けか)なんどせるがごとく、仏(ほとけ)になるべしと許されて、いまだ八相(はつそう)をとなえ(唱)ず、いかでかこの経の重恩(じゆうおん)をばほうぜざらん。もしほうぜずば彼々(かれがれ)の賢人にもをとりて、不知恩の畜生なるべし。毛宝(もうほう)が亀はあを(〓)の恩をわすれず、昆明池(こんめいち)の大魚(たいぎよ)は命(いのち)の恩をほうぜんと明珠(みようじゆ)を夜中(やちゆう)にさゝげたり。畜生すらなお恩をほうず。いかにいわんや大聖(だいしよう)をや。阿難尊者は斛飯王(こくぼんのう)の次男、羅〓羅(らごら)尊者は浄飯王(じようぼんおう)の孫なり。人中(にんちゆう)に家高き上、証果(しようか)の身となつて成仏ををさへ(抑)られたりしに、八年の霊山(りようぜん)の席にて山海慧(せんかいえ)・蹈七宝華(とうしつぼうけ)なんど如来の号をさづけられ給(たも)う。

もし法華経ましまさずは、いかにいえたか(家高)く大聖なりとも、誰か恭敬したてまつるべき。夏(か)の桀(けつ)・殷(いん)の紂(ちゆう)と申すは万乗(ばんじよう)の主(しゆ)、土民(どみん)の帰依なり。しかれども政(まつりごと)あしくして世をほろぼせしかば、今にわるきものゝ手本には桀紂(けつちゆう)桀紂とこそ申せ。下賤(げせん)の者・癩病(らいびよう)の者も桀紂のごとしといはれぬればのられ(罵)たりと腹たつなり。千二百無量の声聞は法華経ましまさずば、誰(だれ)か名をもきくべき、その音(こえ)をも習うべき。一千の声聞、一切経を結集(けつじゆう)せりとも見る人もよもあらじ。ましてこれらの人々を絵像(えぞう)・木像(もくぞう)にあらわして本尊(ほんぞん)と仰(あお)ぐべしや。これ偏に法華経の御力(おんちから)によて、一切の羅漢帰依せられさせ給(たもう)なるべし。諸(もろもろ)の声聞、法華をはなれさせ給(たまい)なば、魚(うお)の水をはなれ、猿の木をはなれ、小児(しように)の乳をはなれ、民(たみ)の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給(たもう)べき。

諸(もろもろ)の声聞は爾前の経々にては肉眼(にくげん)の上に天眼(てんげん)・慧眼(えげん)をう(得)。法華経にして法眼(ほうげん)・仏眼備(ぶつげんそなわ)れり。十方(じつぽう)世界すらなお照見(しようけん)し給(たもう)らん。いかにいわんやこの娑婆世界の中(うち)、法華経の行者を知見せられざるべしや。たとい日蓮悪人にて一言(いちごん)二言、一年二年、一劫(いつこう)二劫、ないし百千万億劫これらの声聞を悪口罵詈し奉(たてまつり)、刀杖を加えまいらする色(いろ)なりとも、法華経をだにも信仰したる行者ならばすて給(たもう)べからず。たとへば幼稚(おさなきもの)の父母をのる、父母これをすつるや。梟鳥(きようちよう)が母を食(く)う、母これをすてず。破鏡(はけい)父をがい(害)す、父これにしたがふ。畜生すらなおかくのごとし。大聖(だいしよう)法華経の行者を捨つべしや。

されば四大声聞の領解(りようげ)の文(もん)に云く、「我等今者(いま)、真(しん)にこれ声聞なり。仏道の声を以て一切をして、開かしむべし。我等今者(いま)、真(しん)に阿羅漢なり。諸(もろもろ)の世間、天(てん)・人(にん)・魔(ま)・梵(ぼん)において普(あまね)くその中(なか)においてまさに供養(くよう)を受くべし。世尊は大恩(だいおん)まします。希有(けう)の事(じ)を以て憐愍教化(れんみんきようけ)して、我等を利益(りやく)したもう。無量億劫にも誰か能く報ずる者あらん。手足(しゆそく)をもて供給(くきゆう)し、頭頂(ずちよう)をもて礼敬(らいきよう)し、一切をもて供養すとも、皆報ずること能(あた)わじ。もしは以て頂戴(ちようだい)し、両肩(りようけん)に荷負(かふ)して恒沙劫(ごうじやこう)において、心を尽して恭敬し、また美膳(みぜん)無量の宝衣(ほうえ)、及び諸の臥具(がぐ)、種種(しゆじゆ)の湯薬(とうやく)を以てし、牛頭栴檀(ごずせんだん)及び諸の珍宝(ちんぽう)を以て塔〓(とうみよう)を起(た)て、宝衣を地(じ)に布(し)き、かくのごとき等(ら)の事(じ)、もつて供養すること恒沙劫においてすとも、また報ずること能わじ」等云云。

諸の声聞は前四味(ぜんしみ)の経々にいくそばくぞ(幾許)の呵嘖(かしやく)を蒙(こうむ)り、人天大会(にんでんだいえ)の中(うち)にして恥辱(ちじよく)がましき事その数をしらず。しかれば迦葉尊者の〓泣(ていきゆう)の音(こえ)は三千をひびかし、須菩提(しゆぼだい)尊者は亡然(ぼうぜん)として手の一鉢(いつぱつ)をす(捨)つ。舎利弗は飯食(ぼんじき)をは(吐)き、富楼那(ふるな)は画瓶(がびよう)に糞(ふん)を入(い)ると嫌(きら)わる。世尊、鹿野苑(ろくやおん)にしては阿含経を讃歎(さんだん)し、二百五十戒を師とせよ、なんど慇懃(おんごん)にほめさせ給(たまい)て、今またいつのまに我(わが)所説をば、かうはそしらせ給(たもう)と、二言相違(にごんそうい)の失(とが)とも申(もうし)ぬべし。

例せば世尊、提婆達多を汝愚人なり、人の唾(つばき)を食(くら)うと罵詈(めり)せさせ給(たまい)しかば、毒〓(どくせん)の胸に入(いる)がごとくをもひて、うらみて云く、瞿雲(くどん)は仏陀にはあらず。我(われ)は斛飯王(こくぼんのう)の嫡子(ちやくし)、阿難尊者が兄、瞿雲が一類なり。いかにあしき事ありとも内内(ないない)教訓すべし。これら程の人天大会(にんでんだいえ)に、これ程の大禍(だいか)を現に向(むかつ)て申すもの大人(だいにん)仏陀の中(うち)にあるべしや。されば先先(さきざき)は妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々(しようじようせせ)に大怨敵(だいおんてき)となるべしと誓いしぞかし。

これをもつて思うに、今諸(もろもろ)の大声聞は本(も)と外道婆羅門の家より出(いで)たり。また諸の外道の長者なりしかば諸王に帰依せられ諸檀那にたと(尊)まる。或は種姓(しゆしよう)高貴の人もあり、或は富福(ふふく)充満のやからもあり。しかるに彼々(かれがれ)の栄官等をうちすて慢心の幢(はたほこ)を倒して、俗服を脱ぎ壊色(えじき)の糞衣(ふんね)を身にまとひ、白払弓〓(びやくほつきゆうせん)等をうちすてゝ一鉢(いつぱつ)を手ににぎり、貧人乞丐(ひんにんこつがい)なんどのごとくして、世尊につき奉り、風雨を防ぐ宅(いえ)もなく、身命(しんみよう)をつぐ衣食乏少(えじきぼうしよう)なりしありさまなるに、五天四海みな外道(げどう)の弟子檀那なれば仏(ほとけ)すら九横(くおう)の大難にあひ給ふ。いわゆる提婆が大石(だいせき)をとばせし、阿闍世王の酔象(すいぞう)を放(はなち)し、阿耆多王(あぎたおう)の馬麦(めみやく)、婆羅門城のこんづ(漿)、せんしや(旃遮)婆羅門女(によ)が鉢(はち)を腹にふせし、いかにいわんや所化(しよけ)の弟子の数難(すうなん)申すばかりなし。無量の釈子(しやくし)は波瑠璃(はるり)王に殺され、千万の眷属は酔象にふまれ、華色(けしき)比丘尼は提多(だいた)にがい(害)せられ、迦盧提(かるだい)尊者は馬糞(ばふん)にうづまれ、目〓尊者は竹杖(ちくじよう)にがいせらる。

そのうえ六師同心(ろくしどうしん)して阿闍世・婆斯匿(はしのく)王等に讒奏(ざんそう)して云く、瞿雲(くどん)は閻浮(えんぶ)第一の大悪人なり。彼がいたる処は三災七難を前(さき)とす。大海(だいかい)の衆流(しゆる)をあつめ、大山(だいせん)の衆木(しゆもく)をあつめたるがごとし。瞿曇(くどん)がところには衆悪(しゆあく)をあつめたり。いわゆる迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり。人身(にんしん)を受けたる者は忠孝を先とすべし。彼らは瞿雲にすかされて、父母の教訓をも用いず家をいで、王法(おうぼう)の宣をもそむいて山林にいたる。一国に跡(あと)をとどむべき者にはあらず。されば天には日月衆星変(にちがつしゆせいへん)をなす、地には衆夭(しゆよう)さかんなり、なんどうつたう。堪(た)うべしともおぼへざりしに、またうちそ(添)うわざわいと仏陀にもうちそひ(副)がたくてありしなり。人天大会の衆会(しゆえ)の砌(みぎり)にて時々呵嘖(よりよりかしやく)の音(こえ)をきゝしかば、いかにあるべしともおぼへず。ただあわつる(狼狽)心のみなり。

そのうえ大(だい)の大難の第一なりしは浄名経の「それ汝に施(ほどこ)す者は福田(ふくでん)と名づけず、汝を供養する者は三悪道に堕(だ)す」等云云。文(もん)の心は仏、菴羅苑(あんらおん)と申すところにをはせしに、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしやく)・日月(にちがつ)・四天(してん)・三界諸天(さんがいしよてん)・地神(ちじん)・竜神(りゆうじん)等無数恒沙(むしゆごうじや)の大会(だいえ)の中(うち)にして云く、須菩提(しゆぼだい)等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕(お)つべし。これらをうちきく天人、これらの声聞を供養すべしや。詮するところは仏の御言(みことば)を用(もちい)て諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ。心あらん人々は仏をもうとみぬべし。さればこれらの人々は仏を供養したてまつりしついでにこそ、わづかの身命(しんみよう)をも扶(たす)けさせ給いしか。

されば事の心を案ずるに、四十余年の経々のみとかれて、法華八箇年の所説なくて、御入滅ならせ給いたらましかば、誰の人かこれらの尊者をば供養し奉るべき。現身に餓鬼道にこそをはすべけれ。

しかるに四十余年の経々をば東春(とうじゆん)の大日輪寒氷(かんぴよう)を消滅するがごとく、無量の草露(そうろ)を大風(たいふう)の零落(れいらく)するがごとく、一言一時(いちごんいちじ)に「未顕真実」と打(うち)けし、大風(だいふう)の黒雲(こくうん)をまき、大虚(たいこ)に満月の処(しよ)するがごとく、青天に日輪の懸(かか)り給うがごとく、「世尊は法久しうして後、要(かなら)ずまさに真実を説くべし」と照(てら)させ給いて、華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫々(かくかく)たる日輪、明々(めいめい)たる月輪(がつりん)のごとく、鳳文(ほうもん)にしるし亀鏡(ききよう)に浮(うか)べられて候へばこそ、如来滅後の人天(にんでん)の諸檀那等には仏陀のごとくは仰(あお)がれ給いしか。

水すまば月影ををしむべからず。風ふかば草木(そうもく)なびかざるべしや。法華経の行者あるならば、これらの聖者は大火(だいか)の中をすぎても、大石(だいせき)の中をとをりても、とぶらはせ給うべし。迦葉(かしよう)の入定(にゆうじよう)もことにこそよれ。いかにとなりぬるぞ。いぶかしとも申すばかりなし。「後五百歳(ごごひやくさい)」のあたらざるか。「広宣流布(こうせんるふ)」の妄語となるべきか。日蓮が法華経の行者ならざるか。法華経を教内と下(くだ)して別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか。捨閉閣抛(しやへいかくほう)と定(さだめ)て、法華経の門をとぢよ巻をなげすてよとゑりつ(彫付)けて、法華堂を失える者を守護し給うべきか。仏前の誓(ちかい)はありしかども、濁世(じよくせ)の大難のはげしさをみて諸天下(くだ)り給わざるか。日月(にちがつ)天にまします。須弥山いまもくづれず。海潮も増減す。四季もかたのごとくたがはず。いかになりぬるやらんと大疑(たいぎ)いよいよつもり候。

 

また諸大菩薩・天人(てんにん)等のごときは爾前の経々にして記〓(きべつ)をうるやうなれども、水中の月を取らんとするがごとく、影を体(たい)とおもうがごとく、いろかたちのみあて実義(じつぎ)もなし。また仏の御恩も深くて深からず。

世尊初成道(しよじようどう)の時はいまだ説教もなかりしに、法慧(ほうえ)菩薩・功徳林(くどくりん)菩薩・金剛幢(こんごうどう)菩薩・金剛蔵菩薩等(とう)なんど申せし六十余の大菩薩。十方(じつぽう)の諸仏の国土より教主釈尊の御前(みまえ)に来(きた)り給いて、賢首(げんじゆ)菩薩・解脱月(げだつがつ)等の菩薩の請(こい)にをもむいて十住(じゆうじゆう)・十行(じゆうぎよう)・十回向(じゆうえこう)・十地(じゆうじ)等の法門を説き給いき。これらの大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず。十方世界の諸の梵天(ぼんてん)等も来(きたつ)て法をとく。また釈尊にならいたてまつらず。総じて華厳会座(えざ)の大菩薩・天竜等は釈尊已前に不思議解脱(ふしぎげだつ)に住せる大菩薩なり。釈尊の過去因位の御弟子にやあるらん。十方世界の先仏(せんぶつ)の御弟子にやあるらん。一代教主始成正覚(しじようしようがく)の仏の弟子にはあらず。

阿含・方等・般若の時、四教(しきよう)を仏の説き給いし時こそやうやく(漸)御弟子は出来(しゆつらい)して候(そうら)へ。これもまた仏の自説なれども正説(しようせつ)にはあらず。ゆへいかんとなれば、方等・般若の別円(べつえん)二教は華厳経の別円二教の義趣(ぎしゆ)をいでず。彼(か)の別円二教は教主釈尊の別円二教にはあらず。法慧等の大菩薩の別円二教なり。これらの大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども、仏の御師(おんし)ともいゐぬべし。世尊彼の菩薩の所説を聴聞して智発(ちはつ)して後、重(かさね)て方等・般若の別円をとけり。色もかわらぬ華厳経の別円二教なり。さればこれらの大菩薩は釈尊の師なり。華厳経にこれらの菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり。善知識と申すは一向(いつこう)師にもあらず、一向弟子にもあらずある事なり。蔵通(ぞうつう)二教はまた別円の枝流(しりゆう)なり。別円二教をしる人必ず蔵通二教をしるべし。

人の師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候(そうろう)なり。例せば仏より前の一切の人天(にんでん)・外道は二天・三仙の弟子なり。九十五種まで流派(りゆうは)したりしかども三仙の見(けん)を出でず。教主釈尊もかれに習い伝(つたえ)て、外道の弟子にてましませしが、苦行楽行(くぎようらくぎよう)十二年の時、苦・空・無常・無我の理をさとり出でてこそ、外道の弟子の名をば離れさせ給いて、無師智(むしち)とはなのらせ給いしか。また人天も大師とは仰(あお)ぎまいらせしか。されば前四味の間は教主釈尊、法慧(ほうえ)菩薩等の御弟子なり。例せば文殊は釈尊九代の御師(おんし)と申すがごとし。つねは諸経に「不説一字(ふせついちじ)」ととかせ給うもこれなり。

仏御年(ほとけおんとし)七十二の年、摩竭提国(まがだこく)霊鷲山(りようじゆせん)と申す山にして無量義経をとかせ給いしに、四十余年の経々をあげて枝葉をばその中におさめて、「四十余年未顕真実」と打ち消し給うはこれなり。この時こそ諸大菩薩・諸天人等はあはてて実義を請(しよう)せんとは申せしか。無量義経にて実義とをぼしき事一言(いちごん)ありしかども、いまだまことなし。たとへば月の出(いで)んとしてその体東山(かたちとうざん)にかくれて、光り西山(せいざん)に及べども、諸人月体(しよにんつきしろ)を見ざるがごとし。

法華経方便品(ほうべんぼん)の略開三顕一の時、仏(ほとけ)略して一念三千心中(しんちゆう)の本懐(ほんがい)を宣(の)べ給う。始(はじめ)の事なれば、ほととぎすの音(こえ)をねをびれたる者の一音(ひとこえ)きゝたるがやうに、月の山の半(なかば)を出(い)でたれども薄雲(はくうん)のをほへるがごとくかそかなりしを、舎利弗等驚(おどろき)て諸天竜神・大菩薩等をもよをして、「諸(もろもろ)の天竜神等その数恒沙(こうじや)のごとし、仏を求むる諸の菩薩大数(だいしゆ)八万あり。また諸の万億国(まんのくこく)の転輪聖王(てんりんじようおう)の至れる、合掌して敬心(きようしん)を以て具足の道(どう)を聞きたてまつらんと欲す」等とは請(しよう)せしなり。文(もん)の心は四味三教(さんぎよう)、四十余年の間いまだきかざる法門うけ給はらんと請せしなり。

この文に「欲聞具足道(よくもんぐそくどう)」と申すは、大経(だいきよう)に云く「薩(さ)とは具足の義に名づく」等云云。無依無得大乗四論玄義記(むえむとくだいじようしろんげんぎき)に云く「沙(さ)とは決(けつ)して六と云う。胡法(こほう)には六を以て具足の義となすなり」等云云。吉蔵(きちぞう)の疏(しよ)に云く「沙(さ)とは翻(ほん)じて具足(ぐそく)となす」等云云。天台の玄義の八に云く「薩(さ)とは梵語、ここに妙と翻ず」等云云。付法蔵の第十三真言華厳諸宗の元祖(がんそ)、本地(ほんじ)は法雲自在王如来、迹(しやく)に竜猛(りゆうみよう)菩薩、初地(しよじ)の大聖(だいしよう)の大智度論千巻の肝心に云く「薩(さ)とは六也」等云云。妙法蓮華経と申すは漢語なり。月支(がつし)には薩達磨分陀利迦蘇多攬(さつだるまふんだりきやそたらん)と申す。善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く、「曩謨三曼陀(のうまくさんまだ)〈普仏陀〉〓(おん)〈三身如来〉阿阿暗悪(ああーあんあく)〈開示悟入〉薩縛勃陀枳攘(さるばぼだきのう)〈知〉娑乞蒭〓耶(さきしゆびや)〈見〉〓〓曩婆縛(ぎやぎやのうばば)〈如虚空性〉羅乞叉〓(あらきしやに)〈離塵相なり〉薩哩達磨(さつりだるま)〈正法なり〉浮陀哩迦(ふんだりきや)〈白蓮華〉蘇駄覧(そたらん)〈経〉惹(じやく)〈入〉吽(うん)〈遍〉鑁(ばん)〈作〉発(こく)〈歓喜〉縛曰羅(ばざら)〈堅固〉羅乞叉〓(あらきしやまん)〈擁護〉吽(うん)〈空無相無願〉娑婆訶(そはか)〈決定成就〉。」この真言は南天竺(なんてんじく)の鉄塔の中(うち)の法華経の肝心の真言なり。この真言の中に薩哩達磨(さつりだるま)と申すは正法(しようぼう)なり。薩(さ)と申すは正(しよう)なり。正は妙(みよう)なり。妙は正なり。正法華(しようほつけ)・妙法華これなり。また妙法蓮華経の上に南無(なむ)の二字をけり。南無妙法蓮華経これなり。

妙とは具足。六とは六度万行。諸の菩薩の六度万行を具足するやうをきかんとをもう。具とは十界互具。足(そく)と申すは一界に十界あれば当位(とうい)に余界(よかい)あり。満足(まんぞく)の義なり。この経一部・八巻・二十八品・六万九千三百八十四字、一々にみな妙の一字を備(そな)えて、三十二相(そう)八十種好(しゆごう)の仏陀なり。十界にみな己界(こかい)の仏界(ぶつかい)を顕(あらわ)す。妙楽云く「なお仏果を具す、余果もまたしかり」等云云。

仏これを答(こたえ)て云く「衆生をして仏知見(ぶつちけん)を開かしめんと欲す」等云云。衆生と申すは舎利弗、衆生と申すは一闡提、衆生と申すは九法界(くほうかい)。衆生無辺誓願度ここに満足す。「我本(われもと)誓願を立つ。一切の衆(しゆ)をして我がごとく等しくして異なること無からしめんと欲す。我が昔の願せしところのごとき、今は已(すで)に満足しぬ」等云云。諸大菩薩諸天等この法門をきひて領解(りようげ)して云く「我等(われら)昔より来(このかた)、数(しばしば)世尊の説を聞けどもいまだ曾(かつ)てかくのごとき深妙(じんみよう)の上法(じようほう)を聞かず」等云云。伝教大師云く「我等昔より来(このかた)、数(しばしば)世尊の説を聞くとは、昔、法華経の前に華厳等の大法を説くを聞けるを謂うなり。いまだ曾てかくのごとき深妙の上法を聞かずとは、法華経の唯一仏乗(ゆいいちぶつじよう)の教えをいまだ聞かずと謂うなり」等云云。華厳・方等・般若・深密(じんみつ)・大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解(りようげ)せり。

 

また今よりこそ諸大菩薩も梵・帝・日月(にちがつ)・四天等も教主釈尊の御弟子にては候(そうら)へ。されば宝塔品には、これらの大菩薩を仏(ほとけ)我が御弟子等とをぼすゆへに諫暁(かんぎよう)して云く「諸の大衆(だいしゆ)に告ぐ、我が滅度の後、誰か能くこの経を護持し読誦(どくじゆ)する。今仏前(ぶつぜん)において自ら誓言(せいごん)を説け」とは、したたかに仰(おお)せ下(くだ)せしか。また諸大菩薩も「譬えば大風(たいふう)の小樹(しようじゆ)の枝を吹くがごとし」等と、吉祥草(きつしようそう)の大風に随(したが)い、河水の大海(たいかい)へ引くがごとく、仏には随いまいらせしか。しかれども霊山(りようぜん)日浅くして夢のごとく、うつゝならずありしに、証前(しようぜん)の宝塔の上に起後(きご)の宝塔あて、十方の諸仏来集(らいじゆう)せる、みな我が分身(ふんじん)なりとなのらせ給い、宝塔は虚空に、釈迦・多宝坐を並べ、日月の青天に並出(びようしゆつ)せるがごとし。人天大会(にんでんだいえ)は星をつらね、分身の諸仏は大地の上、宝樹(ほうじゆ)の下(もと)の師子のゆかにまします。

華厳経の蓮華蔵世界は、十方・此土(しど)の報仏、各々(おのおの)に国々にして、彼界(かのかい)の仏、この土(ど)に来(きたり)て分身(ふんじん)となのらず。この界(かい)の仏、彼(か)の界へゆかず。ただ法慧(ほうえ)等の大菩薩のみ互いに来会(らいえ)せり。大日経・金剛頂経等の八葉九尊(はちようくそん)三十七尊等、大日如来の化身(けしん)とわみゆれども、その化身、三身(さんじん)円満の古仏(こぶつ)にあらず。大品経(だいぼんきよう)の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏、いまだ来集(らいしゆう)の仏にあらず。大集経(だいじつきよう)の来集の仏、また分身ならず。金光明経の四方の四仏は化身なり。総(そうじ)て一切経の中に各修各行(かくしゆかくぎよう)の三身円満の諸仏を集めて、我(わが)分身とわとかれず。

これ寿量品の遠序(おんじよ)なり。始成(しじよう)四十余年の釈尊、一劫十劫(いつこうじつこう)等已前の諸仏を集めて分身(ふんじん)ととかる。さすが平等意趣にもにず、をびただしくをどろかし。また始成の仏ならば所化(しよけ)十方に充満すべからざれば、分身の徳は備わりたりとも示現してゑきなし。天台云く「分身すでに多し、まさに知るべし成仏の久しきことを」等云云。大会(だいえ)のをどろきし意(こころ)をかゝれたり。

その上に地涌千界(じゆせんがい)の大菩薩大地より出来(しゆつらい)せり。釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢・文殊等にもにるべくもなし。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集せる大菩薩、大日経等の金剛薩〓(さつた)等の十六の大菩薩なんども、この菩薩に対当(たいとう)すれば〓猴(みこう)の群中(むらがるなか)に帝釈の来(きた)り給うがごとし。山人(やまかつ)に月〓(げつけい)等のまじわれるにことならず。補処(ふしよ)の弥勒(みろく)すらなお迷惑せり。いかにいわんや、その已下(いげ)をや。この千世界の大菩薩の中に四人の大聖(だいしよう)まします。いわゆる上行(じようぎよう)・無辺行(むへんぎよう)・浄行(じようぎよう)・安立行(あんりゆうぎよう)なり。この四人は虚空・霊山の諸大菩薩等、眼(まなこ)もあはせ心もをよばず。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、この菩薩に対すれば翳眼(えいげん)のものゝ日輪(にちりん)を見るがごとく、海人(あま)が皇帝に向(むか)いたてまつるがごとし。大公(たいこう)等の四聖(しせい)の衆中(しゆちゆう)にあつしににたり。商山(しようざん)の四皓(しこう)が恵帝(けいてい)に仕(つか)えしにことならず。巍々堂々(ぎぎどうどう)として尊高(そんこう)なり。釈迦・多宝・十方の分身を除いては一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし。

弥勒菩薩心に念言(ねんごん)すらく、我は仏の太子の御時より三十成道、今の霊山(りようぜん)まで四十二年が間、この界の菩薩・十方世界より来集せし諸大菩薩、みなしりたり。また十方の浄穢土(じようえど)に或は御使(おんつか)い、或いは我と遊戯(ゆうけ)して、その国々に大菩薩を見聞(けんもん)せり。この大菩薩の御師(おんし)なんどはいかなる仏にてやあるらん。よもこの釈迦・多宝・十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそをはすらめ。雨の猛(たけき)を見て竜の大なる事をしり、華(はな)の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし。これらの大菩薩の来(きた)れる国、また誰(たれ)と申す仏にあいたてまつり、いかなる大法(だいほう)をか習修(しゆうしゆう)し給うらんと疑わし。あまりの不審さに音(こえ)をもいだすべくもなけれども、仏力(ぶつりき)にやありけん、弥勒菩薩疑(うたがつ)て云く「無量千万億の大衆(だいしゆう)の諸の菩薩は、昔より未(いま)だ曾て見ざるところなり。この諸の大威徳の精進(しようじん)の菩薩衆(しゆ)は、誰(たれ)かそのために法を説いて、教化(きようけ)して成就せる。誰に従つて初めて発心(ほつしん)し、何れの仏法をか称揚(しようよう)せる。○世尊、我昔より来(このかた)未だ曾てこの事(じ)を見ず。願わくはその所従の国土の名号を説きたまえ。我常に諸国に遊べども、未だ曾てこの事を見ず。我この衆(しゆう)の中において、乃(いま)し一人(いちにん)をも識らす。忽然(こつねん)に地(ち)より出でたり。願わくはその因縁を説きたまえ」等云云。

天台云く「寂場(じやくじよう)より已降(いこう)、今座(こんざ)より已往(いおう)、十方(じつぽう)の大士(だいじ)、来会(らいえ)絶えず、限るべからずといえども、我補処(ふしよ)の智力(ちりき)を以て悉く見、悉く知る。しかれどもこの衆において、一人をも識らず。しかるに我十方に遊戯(ゆうけ)して諸仏に覲奉(ごんぶ)し、大衆に快(こころよ)く識知(しきち)せらる」等云云。妙楽云く「智人(ちにん)は起(き)を知る。蛇(じや)は自(みずか)ら蛇を識(し)る」等云云。経釈の心分明(ふんみよう)なり。詮するところは、初成道よりこのかた、此土(このど)・十方にてこれらの菩薩を見たてまつらずきかず、と申すなり。

仏(ほとけ)この疑いに答(こたえ)て云く「阿逸多(あいつた)○汝等(なんだち)昔よりいまだ見ざるところの者は、我(われ)この娑婆世界において阿耨多羅三藐三菩提を得已(おわ)つて、この諸(もろもろ)の菩薩を教化(きようけ)し示導(じどう)して、その心を調伏(ちようぶく)して、道(どう)の意(こころ)を発(おこ)さしめたり」等。また云く「我伽耶城菩提樹下(われがやじようぼだいじゆげ)において坐して最正覚(さいしようがく)を成(じよう)ずることを得て、無上の法輪を転じ、爾してすなわちこれを教化して、初めて道心を発(おこ)さしむ。今皆不退に住せり。乃至、我(われ)久遠より来(このかた)、これらの衆(しゆ)を教化せり」等云云。ここに弥勒等の大菩薩大(おおい)に疑(うたがい)をもう。華厳経の時、法慧等の無量の大菩薩あつまる。いかなる人々なるらんとをもへば、我が善知識なりとをほせられしかば、さもやとうちをもひき。その後の大宝坊(だいほうぼう)・白鷺池(びやくろじ)等の来会(らいえ)の大菩薩もしかのごとし。この大菩薩は彼等にはにるべくもなきふりたりげにまします。定(さだめ)て釈尊の御師匠かなんどおぼしきを、「初めて道心を発(おこ)さしむ」とて幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせり、なんどをほせあれば大(おおい)なる疑(うたがい)なるべし。

日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子なり。御年六歳の時百済(くだら)・高麗(こま)・唐土(もろこし)より老人どものわたりしを、六歳の太子我(わが)弟子なりとをほせありしかば、彼(かの)老人どもまた合掌して我(わが)師なり等云云。不思議なりし事なり。外典に申す、或者(あるひと)道をゆけば、路(みち)のほとりに年三十ばかりなるわかものが八十ばかりなる老人をとらへて打(うち)けり。いかなる事ぞととえば、この老翁は我(わが)子なりなんど申すとかたるにもにたり。

されば弥勒菩薩等疑(うたがつ)て云く「世尊、如来太子たりし時、釈の宮を出でて、伽耶城(がやじよう)を去ること遠からず。道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成(じよう)ずることを得たまえり。これより已来(このかた)、始めて四十余年を過ぎたり。世尊云何(いかん)ぞこの少時(しようじ)において大いに仏事を作したまえる」等云云。一切の菩薩始め華厳経より四十余年会々(ええ)に疑(うたがい)をまうけて、一切衆生の疑網(ぎもう)をはらす。中にこの疑第一の疑なるべし。無量義経の大荘厳(だいしようごん)等の八万の大士(だいじ)、四十余年と今との歴劫(りやくこう)・疾成(しつじよう)の疑にも超過せり。観無量寿経に韋提希夫人(いだいけぶにん)の子阿闍世王、提婆にすかされて父の王をいましめ(禁錮)母を殺さんとせしが、耆婆(ぎば)・月光(がつこう)にをどされて母をはなちたりし時、仏を請したてまつて、まづ第一の問(とい)に云く「我宿何(むかし)の罪ありてこの悪子(あくし)を生む。世尊、また何等の因縁あつて、提婆達多と共に眷属となりたもう」等云云。この疑の中に「世尊また何等の因縁あつて」等の疑は大(おおい)なる大事なり。輪王(りんのう)は敵と共に生(うま)れず。帝釈は鬼とともならず。仏は無量劫の慈悲者なり。いかに大怨と共にはまします。還(かえつ)て仏にはましまさざるかと疑うなるべし。しかれども仏答え給わず。されば観経(かんぎよう)を読誦せん人、法華経の提婆品へ入らずばいたづらごとなるべし。大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問(とい)もこれには及ばず。されば仏(ほとけ)この疑を晴させ給はずば一代の聖教は泡沫(ほうまつ)にどうじ、一切衆生は疑網(ぎもう)にかゝるべし。寿量の一品(いつぽん)の大切なるこれなり。

その後仏(ほとけ)寿量品を説(とい)て云く、「一切世間の天人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂(おも)えり」等云云。この経文は始め寂滅道場より終り法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。「しかるに善男子(ぜんなんし)、我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云。この文(もん)は華厳経の三処の「始成正覚(しじようしようがく)」、阿含経に云く、「初成(しよじよう)」、浄名経の「始坐仏樹」、大集経に云く、「始十六年」、大日経の「我昔坐道場(がしやくざどうじよう)」等、仁王経の「二十九年」、無量義経の「我先(がせん)道場」、法華経の方便品に云く、「我始坐(がしざ)道場」等を、一言(いちごん)に大虚妄(だいこもう)なりとやぶるもん(文)なり。

この過去常顕(かこじようあらわ)るる時、諸仏みな釈尊の分身なり。爾前迹門の時は諸仏釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり。かるがゆへに諸仏を本尊とする者釈尊等を下(くだ)す。今華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏はみな釈尊の眷属なり。仏(ほとけ)三十成道の御時(おんとき)は大梵天王・第六天等の知行(ちぎよう)の娑婆世界を奪い取り給いき。今、爾前、迹門にして十方を浄土とがう(号)して、この土を穢土(えど)ととかれしを打(うち)かへして、この土は本土となり、十方の浄土は垂迹(すいじやく)の穢土となる。

仏は久遠の仏なれば迹化(しやくけ)・他方(たほう)の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり。一切経の中に、この寿量品ましまさずば、天に日月無く、国に大王なく、山河に珠(たま)なく、人に神(たましい)のなからんがごとくしてあるべきを、華厳・真言等の権宗(ごんしゆう)の智者とをぼしき澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往(いちおう)権宗の人々、かつは自(みずから)の依経(えきよう)を讃歎(さんだん)せんために、或は云く、華厳経の教主は報身(ほうじん)、法華経は応身と、或は云く、法華寿量品の仏は無明の辺域(へんいき)、大日経の仏は明(みよう)の分位等云云。

雲は月をかくし、讒臣(ざんしん)は賢人をかくす。人讒(ざん)せば黄石(おうせき)も玉とみへ、諛臣(ゆしん)も賢人かとをぼゆ。今濁世(じよくせ)の学者等、彼等の讒義(ざんぎ)に隠(かく)されて寿量品の玉を〓(もてあそ)ばず。また天台宗の人々もたぼらかされて金石一同(きんせきいちどう)のをもひをなせる人々もあり。仏久成(くじよう)にましまさずば所化(しよけ)の少(すくな)かるべき事を弁(わきま)うべきなり。月は影を慳(おしま)ざれども水なくばうつるべからず。仏衆生を化(け)せんとをぼせども結縁(けちえん)うすければ八相を現ぜず。例せば諸(もろもろ)の声聞が初地(しよじ)・初住にはのぼれども、爾前にして自調自度(じちようじど)なりしかば、未来の八相をご(期)するなるべし。

しかれば教主釈尊始成(しじよう)ならば、今この世界の梵帝・日月(にちがつ)・四天等は劫初(こうしよ)よりこの土を領すれども、四十余年の仏弟子なり。霊山(りようぜん)八年の法華結縁(けちえん)の衆(しゆ)今まいりの主君にをもひつかず、久住(くじゆう)の者にへだてらるゝがごとし。今、久遠実成あらわれぬれば、東方の薬師如来の日光・月光(がつこう)、西方阿弥陀如来の観音・勢至、乃至十方世界の諸仏の御弟子、大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩、なお教主釈尊の御弟子なり。諸仏、釈迦如来の分身(ふんじん)たる上は諸仏の所化(しよけ)申すにをよばず。いかにいわんやこの土の劫初(こうしよ)よりこのかたの日月(にちがつ)・衆星(しゆしよう)等、教主釈尊の御弟子にあらずや。

 

しかるを天台宗より外(ほか)の諸宗は本尊にまどえり。倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道(だんけつじようどう)の釈尊を本尊とせり。天尊の太子、迷惑して我身(わがみ)は民(たみ)の子とをもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。法相・三論は勝応身(しようおんじん)ににたる仏を本尊とす。大王の太子、我が父は侍(さむらい)とをもうがごとし。華厳宗・真言宗は釈尊を下(さげ)て盧舎那(るしやな)・大日等を本尊と定(さだ)む。天子たる父を下(くだ)して、種姓(しゆしよう)もなき者の法王のごとくなるにつけり。浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをも(思)て、教主をすてたり。禅宗は下賤(げせん)の者一分(いちぶん)の徳あて父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下(くだ)す。これみな本尊(ほんぞん)に迷えり。例せば三皇已前に父をしらず、人みな禽獣に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者は畜(ちく)に同じ。不知恩の者なり。故に妙楽云く「一代教(いちだいきよう)の中(うち)、いまだ曾て父母の寿(じゆ)の遠(おん)を顕(あら)わさず。○もし父の寿の遠きを知らざれば、また父統(ふとう)の邦(くに)に迷いなん。いたずらに才能と謂(い)うとも全く人の子にあらず」等云云。妙楽大師は唐の末(すえ)天宝年中の者なり。三論・華厳・法相・真言等の諸宗、並に依経(えきよう)を深くみ、広く勘(かんが)えて、寿量品の仏をしらざる者は父統の邦(くに)に迷える才能ある畜生とかけるなり。「いたずらに才能と謂うとも」とは華厳宗の法蔵・澄観、乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師(にんし)なれども、子の父をしらざるがごとし。

 

伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云く、「他宗所依(しよえ)の経は一分仏母(いちぶんぶつも)の義ありといえども、しかれどもただ愛のみあつて厳(げん)の義を闕(か)く。天台法華宗は厳(げん)・愛(あい)の義を具す。一切の賢聖(けんしよう)、学無学、及び菩提心を発(おこ)せる者の父なり」等云云。

真言・華厳等の経経には種(しゆ)・熟(じゆく)・脱(だつ)の三義、名字(みようじ)すらなおなし。いかにいわんや、その義をや。華厳・真言経等の一生初地(いつしようしよじ)の即身成仏等は経は権経(ごんぎよう)にして過去をかくせり。種(しゆ)をしらざる脱(だつ)なれば超高(ちようこう)が位(くらい)にのぼり、道鏡が王位に居(こ)せんとせしがごとし。宗々(しゆうしゆう)互に権(けん)を諍(あらそ)う。予これをあらそわず。ただ経に任(まか)すべし。法華経の種(しゆ)に依つて天親(てんじん)菩薩は種子無上(しゆじむじよう)を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子(しゆじ)みな一念三千なり。天台智者大師一人この法門を得給えり。

華厳宗の澄観、この義を盗んで華厳経の「心如工画師(にんによくえし)」の文(もん)の神(たましい)とす。真言大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。善無畏三蔵が震旦(しんたん)に来(きたり)て後、天台の止観を見て智発(ちほつ)し、大日経の「心実相(しんじつそう)」「我一切本初(がいつさいほんしよ)」の文の神(たましい)に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として、その上に印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝(りどうじしよう)の釈をつくれり。両界の漫荼羅(まんだら)の二乗作仏・十界互具は一定(いちじよう)大日経にありや。第一の誑惑(おうわく)なり。故に伝教大師云く「新来の真言家(け)は則ち筆受の相承(そうじよう)を泯(みん)し、旧到(くとう)の華厳家は則ち影響(ようごう)の軌模(きぼ)を隠(かく)す」等云云。俘囚(ふしゆう)の嶋なんどにわたて、「ほの〓〓といううた(和歌)」わ、われよみたりなんど申すは、えぞてい(夷体)の者はさこそとをもうべし。漢土・日本の学者またかくのごとし。

良〓和尚(りようしよわじよう)云く「真言・禅門・華厳・三論、乃至、もし法華等に望めばこれ接引門(しよういんもん)」等云云。善無畏三蔵の閻魔の責(せめ)にあづからせ給いしはこの邪見による。後(のち)に心をひるがへし、法華経に帰伏(きぶく)してこそこのせめをば脱(のがれ)させ給いしか。その後、善無畏・不空等、法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし、胎蔵の大日経・金剛頂経をば左右の臣下のごとくせしこれなり。日本の弘法も教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八にをきしかども、事相の時、実慧(じちえ)・真雅(しんが)・円澄(えんちよう)・光定(こうじよう)等の人々に伝え給いし時、両界の中央に上(かみ)のごとくをかれたり。例せば三論の嘉祥(かじよう)は法華玄十巻に法華経を第四時会二破二(だいしじえにはに)と定むれども、天台に帰伏して七年つかへ「廃講散衆身為肉橋(はいこうさんしゆうしんいにつきよう)」となせり。法相の慈恩は法苑義林(ほうおんぎりん)七巻十二巻に「一乗方便・三乗真実」等の妄言(もうげん)多し。しかれども玄賛(げんさん)の第四には「故亦両存(こやくりようそん)」等と我宗(わがしゆう)を不定(ふじよう)になせり。言(ことば)は両方なれども心は天台に帰伏せり。華厳の澄観は華厳の疏(しよ)を造(つくつ)て、華厳・法華相対して法華を方便とかけるに似(にたれ)ども、「彼(か)の宗これを以て実となす。この宗の立義(りゆうぎ)理として通ぜざることなし」等とかけるは悔還(くいかえ)すにあらずや。弘法もまたかくのごとし。亀鏡(ききよう)なければ我が面(おもて)をみず。敵(かたき)なければ我が非をしらず。真言等の諸宗の学者等我が非をしらざりし程に、伝教大師にあひたてまつて自宗の失(とが)をしるなるべし。

されば諸経の諸仏・菩薩・人天(にんでん)等は彼々(かれがれ)の経々にして仏(ほとけ)にならせ給うやうなれども、実には法華経にして正覚(しようがく)なり給へり。釈迦・諸仏の衆生無辺の総願は皆この経にをいて満足す。「今は已(すで)に満足しぬ」の文(もん)これなり。

 

予事の由(よし)ををしはかるに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をばその経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。ただし大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてゝ法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる。孝の至(いた)りなり。仏法もまたかくのごとし。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹(じゆうらせつ)、日蓮を守護し給う上、浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩、真言宗の千二百等、七宗の諸尊・守護の善神(ぜんじん)、日蓮を守護し給うべし。例せば七宗の守護神が伝教大師をまほり給(たまい)しがごとしとをもう。

日蓮案じて云く、法華経の二処三会(にしよさんね)の座(ざ)にまし〓〓し日月(にちがつ)等の諸天は、法華経の行者出来(しゆつらい)せば、磁石の鉄を吸(す)うがごとく、月の水に遷(うつ)るがごとく、須臾(しゆゆ)に来(きたつ)て行者に代(かわ)り、仏前の御誓(おんちかい)をはたさせ給うべしとこそをぼへ候(そうろう)に、いままで日蓮をとぶらひ(訪)給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。されば重(かさね)て経文を勘(かんが)えて我身(わがみ)にあてゝ身の失(とが)をしるべし。

疑(うたがつ)て云く、当世の念仏宗・禅宗等をば、何(いか)なる智眼(ちげん)をもつて法華経の敵人(てきにん)、一切衆生の悪知識とはしるべきや。答(こたえ)て云く、私(わたくし)の言(ことば)を出(いだ)すべからず。経釈(きようしやく)の明鏡(めいきよう)を出(いだ)して謗法の醜面(しゆうめん)をうかべ、その失(とが)をみせしめん。生盲(しようもう)は力をよばず。法華経の第四宝塔品に云く「爾の時に多宝仏、宝塔の中(うち)において半座を分(わか)ちて釈迦牟尼仏に与えたもう。○爾の時に大衆(だいしゆ)、二如来(にによらい)の七宝(しつぽう)の塔の中(うち)の師子の座の上に在(ましま)して、結跏趺坐(けつかふざ)したもうを見たてまつる。○大音声(だいおんじよう)を以て普(あまね)く四衆(ししゆ)に告(つげたま)わく、誰(たれ)か能くこの娑婆国土において広く妙法華経を説かん。今正(まさ)しくこれ時なり。如来久しからずしてまさに涅槃に入るべし。仏(ほとけ)この妙法華経を以て、付嘱してあることあらしめんと欲す」等云云。第一の敕宣(ちよくせん)なり。

また云(いわ)く「爾の時に世尊重(かさ)ねてこの義を宣(の)べんと欲して偈を説いて言(のたま)わく、聖主(しようしゆ)世尊、久しく滅度すといえども、宝塔の中(うち)に在(ましま)して、なお法のために来りたまえり。諸人云何(しよにんいかん)ぞ勤(つと)めて法に為(むかわ)ざる。○また我が分身(ふんじん)の無量の諸仏恒沙(ごうじや)等のごとく来(きた)れる、法を聴(き)かんと欲す。○各妙土(おのおのみようど)及び弟子衆・天人(てんにん)・竜神、諸(もろもろ)の供養の事(じ)を捨てて、法をして久しく住せしめんが故に、ここに来至(らいし)したまえり。○譬えば大風(たいふう)の小樹(しようじゆ)の枝を吹くがごとし、この方便を以て、法をして久しく住(じゆう)せしむ。諸の大衆(だいしゆう)に告ぐ、我が滅度の後に誰(たれ)か能くこの経を護持し読誦(どくじゆ)せん。今仏前において、自(みずか)ら誓言(せいごん)を説け」。第二の鳳詔(ほうしよう)なり。

「多宝如来、および我が身集(みあつ)むるところの化仏(けぶつ)まさにこの意(こころ)を知るべし。○諸の善男子各諦(おのおのあきら)かに思惟(しゆい)せよ。これは為(こ)れ難事なり。宜(よろ)しく大願(だいがん)を発(おこ)すべし。諸余(しよよ)の経典(きようてん)、数恒沙(かずごうじや)のごとし。これらを説くといえどもいまだ難(かた)しとなすに足らず。もし須弥(しゆみ)を接(と)つて、他方(たほう)の無数(むしゆ)の仏土(ぶつど)に擲(な)げ置かんも、またいまだ為(こ)れ難(かた)しとせず。○もし仏(ほとけ)の滅後、悪世(あくせ)の中(なか)において、能くこの経を説かん、これ則ち難(かた)しとす。○仮使劫焼(たといこうしよう)に乾(かわ)きたる草を担(にな)い負(お)うて、中に入つて焼けざらんもまたいまだ難(かた)しとせず。我が滅度の後に、もしこの経を持(たも)つて、一人のためにも説かん。これ即ち難(かた)しとす。○諸の善男子、我が滅後において、誰か能くこの経を護持(ごじ)し読誦せん。今仏前において、自ら誓言(せいごん)を説け」等云云。第三の諫敕(かんちよく)なり。第四・第五の二箇(にか)の諫暁、提婆品にあり、下(しも)にかく(書)べし。

この経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸(かかれる)がごとし。白面(はくめん)に壓墨(ほくろ)のあるににたり。しかれども生盲(しようもう)の者と邪眼(じやげん)の者と一眼(いちげん)のものと各謂自師(かくいじし)の者・辺執家(へんしゆうか)の者はみがたし。万難をすてゝ道心あらん者にしるしとどめてみ(見)せん。西王母(せいおうぼ)がその(園)のもゝ(桃)、輪王出世(りんのうしゆつせ)の優曇華(うどんげ)よりもあいがたく、〓公(はいこう)が高羽(こうう)と八年漢土をあらそいし、頼朝と宗盛(むねもり)が七年秋津嶋(あきつしま)にたゝかひし、修羅(しゆら)と帝釈と金〓鳥(こんじちよう)と竜王と阿耨池(あのくち)に諍(あらそ)えるも、これにはすぐべからずとしるべし。日本国にこの法顕(あらわ)るること二度なり。伝教大師と日蓮となりとしれ。無眼(むげん)のものは疑うべし。力及ぶべからず。この経文は日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を釈迦・多宝・十方の仏来集して定め給うなるべし。

問て云く、華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽経・大日経・涅槃経等は九易(くい)の内(うち)か、六難の内か。答(こたえ)て云く、華厳宗の杜順(とじゆん)・智儼(ちごん)・法蔵(ほうぞう)・澄観(ちようかん)等の三蔵大師読(よん)で云く、華厳経と法華経と六難の内(うち)、名は二経なれども所説乃至理これ同じ。「四門観別(しもんかんべつ)、真諦を見ること同じ」のごとし。法相の玄奘三蔵・慈恩大師等読(よん)で云く、深密経と法華経とは同(おなじ)く唯識の法門にして第三時の教、六難の内(うち)なり。三論の吉蔵等読で云く、般若経と法華経とは名異体同(みよういたいどう)、二経一法(にきよういつぽう)なり。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等読で云く、大日経と法華経とは理同、をなじく六難の内の経なり。日本の弘法読で云く、大日経は六難九易の内にあらず。大日経は釈迦所説の一切経の外(ほか)、法身(ほつしん)大日如来の所説なり。またある人云く、華厳経は報身(ほうじん)如来の所説、六難九易の内にはあらず。この四宗の元祖等かやうに読みければ、その流(ながれ)をくむ数千の学徒等もまたこの見(けん)をいでず。

日蓮なげいて云く、上(かみ)の諸人の義を左右(さう)なく非なりといわば当世の諸人面(おもて)を向(むく)べからず。非に非をかさね、結句は国王に讒奏(ざんそう)して命(いのち)に及ぶべし。ただし我等が慈父、双林(そうりん)最後の御遣言(ごゆいごん)に云く「法に依つて人(にん)に依らざれ」等云云。「人に依らざれ」等とは、初依(しよえ)・二依(にえ)・三依(さんえ)・第(だい)四依(しえ)。普賢(ふげん)・文殊(もんじゆ)等の等覚(とうがく)の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用(もちう)べからず。「了義経(りようぎきよう)に依つて不了義経に依らざれ」と定めて、経の中にも了義・不了義経を糺明(きゆうめい)して信受すべきこそ候(そうら)いぬれ。竜樹菩薩の十住毘婆沙論(びばしやろん)に云く「修多羅黒論(しゆたらこくろん)に依らずして、修多羅白論(びやくろん)に依れ」等云云。天台大師云く「修多羅と合う者は録してこれを用い、文(もん)なく義なきは信受すべからず」等云云。伝教大師云く「仏説(ぶつせつ)に依憑(えびよう)して口伝(くでん)を信ずることなかれ」等云云。円珍智証大師云く「文に依つて伝うべし」等云云。上(かみ)にあぐるところの諸師の釈、みな一分(いちぶん)々々経論に依て勝劣を弁(わきま)うやうなれども、みな自宗を堅く信受し先師の〓義(びゆうぎ)をたださざるゆへに、曲会私情(きよくえしじよう)の勝劣なり。荘厳己義(しようごんこぎ)の法門なり。仏滅後の犢子(とくし)・方広(ほうこう)、後漢已後の外典は仏法外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見強盛(ごうじよう)なり。邪法巧(たくみ)なり。華厳・法相・真言等の人師(にんし)、天台宗の正義(しようぎ)を嫉(ねたむ)ゆへに、「実経の文を会(え)して権義(ごんぎ)に順ぜしむること」強盛(ごうじよう)なり。しかれども道心あらん人、偏党をすて、自他宗をあらそはず、人をあなづる事なかれ。

法華経に云く「已今当(いこんとう)」等云云。妙楽云く「縦(たと)い経あつて諸経の王と云うとも、已今当説最為第一(さいいだいいち)と云わず」等云云。また云く「已・今・当の妙、茲(ここ)において固く迷う。謗法(ほうぼう)の罪苦長劫(ざいくちようこう)に流る」等云云。この経釈(きようしやく)にをどろいて、一切経並に人師(にんし)の疏釈(しよしやく)を見るに、狐疑(こぎ)の氷とけぬ。今真言の愚者等、印・真言のあるをたのみて、真言宗は法華経にすぐれたりとをもひ、慈覚大師等の真言勝(すぐ)れたりとをほせられぬれば、なんどをもえるはいうにかいなき事なり。

密厳経(みつごんきよう)に云く「十地(じゆうじ)・華厳経・大樹(だいじゆ)と神通(じんずう)・勝鬘(しようまん)及び余経と、皆この経より出でたり。かくのごときの密厳経は、一切経の中に勝(すぐ)れたり」等云云。

大雲経(だいうんきよう)に云く「この経は即ちこれ諸経の転輪聖王(てんりんじようおう)なり。何を以ての故に。この経典(きようてん)の中に衆生の実性(じつしよう)・仏性、常住の法蔵を宣説(せんぜつ)する故なり」等云云。

六波羅蜜経に云く「いわゆる過去無量の諸仏所説の正法及び我が今説くところの、いわゆる八万四千の諸(もろもろ)の妙法蘊○摂(しよう)して五分(ごぶん)となす。一には索〓纜(そたらん)・二には〓那耶(びなや)・三には阿〓達磨(あびだるま)・四には般若波羅蜜(はんにやはらみつ)・五には陀羅尼門(だらにもん)となり。この五種の蔵(ぞう)をもて有情(うじよう)を教化(きようけ)す。もし彼の有情、契経(かいきよう)・調伏(ちようぶく)・対法(たいほう)・般若を受持することあたわず。或はまた有情諸の悪業(あくごう)、四重(しじゆう)・八重・五無間罪(ごむけんざい)、方等経を謗ずる一闡提等の種々の重罪を造るに、銷滅(しようめつ)して速疾(そくしつ)に解脱し、頓(とん)に涅槃を悟ることを得せしむ。しかも彼がために諸の陀羅尼蔵を説く。この五の法蔵、譬えば乳(にゆう)・酪(らく)・生蘇(しようそ)・熟蘇(じゆくそ)及び妙(たえ)なる醍醐(だいご)のごとし。○総持門とは、譬えば醍醐のごとし。醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙(みみよう)第一にして、能く諸の病(やまい)を除き、諸の有情をして身心安楽ならしむ。総持門とは、契経(かいきよう)等の中に最も第一にして能く重罪を除くと」等云云。

解深密経(げじんみつきよう)に云く「爾の時に勝義生(しようぎしよう)菩薩、また仏に白(もう)して言(もうさ)く、世尊初め一時において、波羅〓斯(はらなつし)、仙人堕処施鹿林(だしよせろくりん)の中(うち)に在(あ)つて、唯声聞乗を発趣(ほつしゆ)する者のために、四諦(したい)の相を以て正法輪(しようぼうりん)を転じたまいき。これ甚(はなは)だ奇、甚だこれ希有(けう)にして、一切世間の諸の天人等、先より能く法のごとく転ずる者あることなしといえども、しかも彼の時において転じたもうところの法輪は、有上(うじよう)なり、有容(うよう)なり、これ未了義(みりようぎ)なり、これ諸の諍論安足(じようろんあんそく)の処所(ところ)なり。世尊、在昔(むかし)第二時の中に、ただ発趣して大乗を修(しゆ)する者のために一切の法は皆無自性(むじしよう)なり、無生無滅(むしようむめつ)なり、本来寂静(じやくじよう)なり、自性涅槃(じしようねはん)なるに依り、隠密(おんみつ)の相を以て正法輪(しようぼうりん)を転じたまいき。更に甚(はなは)だ奇にして、甚だ為(こ)れ希有なりといえども、しかも彼の時において転じたもうところの法輪、またこれ有上(うじよう)なり、容受(ようじゆ)するところあり、なおいまだ了義ならず、これ諸の諍論安足の処所(ところ)なり。世尊、今第三時の中(うち)において、普(あまね)く一切乗を発趣(ほつしゆ)する者のために、一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃にして、無自性の性(しよう)なるに依り、顕了(けんりよう)の相を以て正法輪を転じたもう。第一甚だ奇にして最もこれ希有なり。今に世尊転じたもうところの法輪、無上無容にして、これ真の了義なり。諸の諍論安足の処所にあらず」等云云。

大般若経に云く「聴聞するところの世(せ)・出世(しゆつせ)の法に随つて、皆能く方便して般若甚深(じんじん)の理趣に会入(えにゆう)し、諸の造作(ぞうさ)するところの世間の事業(じごう)もまた般若を以て法性(ほつしよう)に会入(えにゆう)し、一事として法性を出(いず)る者を見ず」等云云。

大日経第一に云く「秘密主、大乗行あり。無縁乗(むえんじよう)の心を発(おこ)す。法に我性(がしよう)無し。何を以ての故に。彼(か)の往昔(むかし)かくのごとく修行せし者のごとくんば蘊(うん)の阿頼耶(あらや)を観察して、自性は幻(まぼろし)のごとしと知る」等云云。また云く「秘密主、彼(かれ)かくのごとく無我を捨て、心主(しんしゆ)自在にして、自心の本不生(ほんぶしよう)を覚(さと)す」等云云。また云く「いわゆる空性(くうしよう)は根境(こんきよう)を離れ、無相にして境界(きようがい)なく、諸の戯論(けろん)に越えて、虚空に等同なり。乃至極無自性(ごくむじしよう)」等云云。また云く「大日尊、秘密主に告げて言く、秘密主、云何(いか)なるか菩提なる。謂く、実(じつ)のごとく自心を知る」等云云。

華厳経に云く「一切世間の諸の群生(ぐんじよう)、声聞道を求めんと欲することあること尠(すくな)し。縁覚を求むる者、転(うたた)また少なし。大乗を求むる者、甚(はなは)だ希有なり。大乗を求むる者、なおこれ易(やす)く、能くこの法を信ずる、これ甚だかたし。いわんや能く受持し、正憶念(しようおくねん)し、説のごとく修行し、真実に解(げ)せんをや。もし三千大千界を以て頂戴すること一劫、身(み)動かざらんも、彼(か)の所作(しよさ)いまだこれ難(かた)からず。この法を信ずるはこれ甚だ難(かた)し。大千塵数(だいせんじんじゆ)の衆生(しゆじよう)の類に、一劫諸(もろもろ)の楽具(らくぐ)を供養するも、彼の功徳いまだこれ勝(すぐ)れず。この法を信ずるはこれ殊勝なり。もし掌(たなごころ)を以て十仏刹(じゆうぶつせつ)を持(じ)し、虚空中(こくうちゆう)において住すること一劫なるも、彼の所作いまだこれ難(かた)からず。この法を信ずるはこれ甚だ難(かた)し。十仏刹塵(じゆうぶつせつじん)の衆生の類に、一劫 諸の楽具を供養せんも、彼の功徳いまだ勝(まさ)れりとなさず。この法を信ずるはこれ殊勝(しゆしよう)なり。十刹塵の数の諸の如来を、一劫恭敬(くぎよう)して供養せん。もし能くこの品(ほん)を受持せん者の功徳 彼よりも最勝となす」等云云。

涅槃経に云く「この諸の大乗方等経典(きようでん)は、また無量の功徳を成就すといえども、この経に比せんと欲するに喩(たとえ)をなすを得ざること百倍・千倍・百千万億、乃至算数(さんじゆ)譬喩も及ぶこと能わざるところなり。善男子(ぜんなんし)、譬えば牛より乳を出(いだ)し、乳より酪を出し、酪より生蘇(しようそ)を出し、生蘇より熟蘇(じゆくそ)を出し、熟蘇より醍醐(だいご)を出す。醍醐は最上なり。もし服することある者は、衆病皆(みな)除き、所有(しよう)の諸楽も悉くその中に入るがごとし。善男子、仏もまたかくのごとし。仏(ほとけ)より十二部経を出(いだ)し、十二部経より修多羅(しゆたら)を出し、修多羅より方等経(ほうどうきよう)を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃を出し、なお醍醐のごとし。醍醐と言うは仏性(ぶつしよう)に喩(たと)う」等云云。

これらの経文を法華経の已今当(いこんとう)・六難九易(くい)に相対すれば、月に星をならべ、九山(くせん)に須弥(しゆみ)を合(あわ)せたるににたり。しかれども華厳宗の澄観、法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥・弘法等の仏眼(ぶつげん)のごとくなる人なおこの文(もん)にまどへり。いかにいわんや盲眼(もうげん)のごとくなる当世の学者等、勝劣を弁(わきま)うべしや。黒白(こくびやく)のごとくあきらかに、須弥・芥子(けし)のごとくなる勝劣なをまどへり。いはんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや。教の浅深(せんじん)をしらざれば理の浅深弁うものなし。巻(かん)をへだて文(もん)前後すれば、教門の色弁えがたければ、文を出(いだ)して愚者を扶(たすけ)んとをもう。王に小王・大王、一切に少分(しようぶん)・全分・五乳に全喩(ぜんゆ)・分喩を弁うべし。六波羅蜜経は有情の成仏あて、無性の成仏なし。いかにいわんや久遠実成をあかさず。なお涅槃経の五味(ごみ)にをよばず、いかにいわんや法華経の迹門・本門にたいすべしや。しかるに日本の弘法大師、この経文(きようもん)にまどひ給(たまい)て、法華経を第四の熟蘇味(じゆくそみ)に入れ給えり。第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばず、いかにし給(たまい)けるやらん。しかるを「震旦人師争盗(にんしじようとう)醍醐」と天台等を盗人(ぬすびと)とかき給へり。「惜哉古賢不嘗醍醐(しやくさいこけんふしようだいご)」等と自歎(じたん)せられたり。

これらはさてをく。我が一門の者のためにしるす。他人は信ぜざれば逆縁なるべし。一〓(いつたい)をなめて大海のしを(潮)をしり、一華(いつけ)を見て春を推せよ。万里をわたて宋に入らずとも、三箇年を経て霊山(りようぜん)にいたらずとも、竜樹のごとく竜宮に入らずとも、無著(むじやく)菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも、二処三会(にしよさんね)に値わずとも、一代の勝劣はこれをしれるなるべし。蛇(じや)は七日が内(うち)の洪水をしる、竜の眷属なるゆへ。烏は年中の吉凶をしれり、過去に陰陽師(おんみようじ)なりしゆへ。鳥はとぶ徳、人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡(あと)をしのぶゆへなり。彼(かの)人々は天台・伝教に帰(き)せさせ給はずは謗法の失(とが)脱れさせ給うべしや。当世(とうせい)日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命(いのち)は法華経にたてまつる。名をば後代に留(とどむ)べし。大海(だいかい)の主(ぬし)となれば諸の河神(かじん)皆したがう。須弥山の王に諸の山神(さんじん)したがわざるべしや。法華経の六難九易を弁(わきま)うれば一切経よまざるにしたがうべし。

宝塔品の三箇(さんが)の勅宣の上に提婆品に二箇(にか)の諫暁(かんぎよう)あり。提婆達多は一闡提なり、天王(てんのう)如来と記(き)せらる。涅槃経四十巻の現証はこの品(ほん)にあり。善星(ぜんしよう)・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者、一をあげ頭(かしら)をあげ、万ををさめ枝をしたがふ。一切の五逆・七逆・謗法・闡提、天王如来にあらはれおわんぬ。毒薬変じて甘呂(かんろ)となる。衆味(しゆうみ)にすぐれたり。竜女(りゆうによ)が成仏これ一人(いちにん)にはあらず、一切の女人(によにん)の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転(がいてん)の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実(うみようむじつ)の成仏往生なり。挙一例諸(こいちれいしよ)と申して、竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。

儒家(じゆけ)の孝養は今生(こんじよう)にかぎる。未来の父母を扶(たす)けざれば、外家(げけ)の聖賢(せいけん)は有名無実なり。外道は過(か)・未(み)をしれども父母を扶くる道なし。仏道こそ父母の後世(ごせ)を扶くれば聖賢の名はあるべけれ。しかれども法華経已前等の大小乗の経宗(きようしゆう)は自身の得道なおかなひがたし。いかにいわんや父母をや。ただ文(もん)のみあて義なし。今法華経の時こそ女人成仏の時、悲母(ひも)の成仏も顕(あら)われ、達多(だつた)の悪人成仏の時慈父の成仏も顕わるれ。この経は内典(ないでん)の孝経なり。二箇(にか)のいさめおわんぬ。

 

已上五ケの鳳詔(ほうしよう)にをどろきて、勧持品の弘経(ぐきよう)あり。明鏡の経文(きようもん)を出(いだ)して当世の禅・律・念仏者、並に諸檀那の謗法をしらしめん。日蓮といゐし者は去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ。これは魂魄佐土(こんぱくさど)の国にいたりて、返年(かえるとし)の二月雪中(せつちゆう)にしるして、有縁(うえん)の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人いかにをぢずらむ。これは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし。

勧持品に云く「唯願くは慮(うらおもい)したもうべからず。仏(ほとけ)滅度の後、恐怖悪世(くふあくせ)の中において、我等まさに広く説くべし。諸(もろもろ)の無智の人の悪口罵詈(あつくめり)等し、及び刀杖(とうじよう)を加うる者あらん。我等皆まさに忍ぶべし。悪世の中(なか)の比丘は、邪智(じやち)にして心諂曲(てんごく)に、いまだ得ざるをこれ得たりと謂(おも)い、我慢(がまん)の心充満せん。或(あるい)は阿練若(あれんにや)に、納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在つて、自(みずか)ら真の道(どう)を行ずと謂(おも)つて、人間(にんげん)を軽賤(きようせん)する者あらん。利養に貪著(とんじやく)するが故に、白衣(びやくえ)のために法を説いて、世に恭敬せらるることをうること、六通(ろくつう)の羅漢(らかん)のごとくならん。この人悪心を懐(いだ)き、常に世俗の事(じ)を念(おも)い、名を阿練若に仮(か)りて、好んで我等が過(とが)を出(いだ)さん。○常に大衆(だいしゆ)の中に在つて、我等を毀(そし)らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆(しゆ)に向かつて、誹謗(ひほう)して我が悪を説いて、これ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん。○濁劫悪世(じよくこうあくせ)の中には、多く諸(もろもろ)の恐怖(くふ)あらん。悪鬼(あくき)その身(み)に入つて、我を罵詈毀辱(めりきにく)せん。○濁世(じよくせ)の悪比丘は、仏(ほとけ)の方便・随宜(ずいぎ)所説の法を知らず、悪口(あくく)して顰蹙(ひんじゆく)し、数数擯出(しばしばひんずい)せられん」等云云。

記の八に云く「文(もん)に三、初(はじめ)に一行(いちぎよう)は通じて邪人(じやにん)を明(あか)す。即ち俗衆(ぞくしゆ)なり。次(つい)で一行は道門増上慢の者を明す。三に七行(しちぎよう)は僭聖(せんしよう)増上慢の者を明す。この三の中に初は忍ぶべし。次は前(まえ)に過ぎたり。第三最も甚(はなは)だし。後後(ごご)の者は転(うた)た識(し)り難(がた)きを以ての故に」等云云。東春(とうじゆん)に智度法師(ちどほつし)云く「初(はじめ)に有諸(うしよ)より下(しも)の五行は、○第一に一偈(いちげ)は三業(さんごう)の悪を忍ぶ。これ外悪(げあく)の人(にん)なり。次に悪世(あくせ)の下の一偈は、これ上慢(じようまん)出家の人なり。第三に或有阿練若(わくうあれんにや)より下の三偈は、即ちこれ出家の処(ところ)に一切の悪人を摂(せつ)す」等云云。また云く「常在大衆中(だいしゆちゆう)より下(しも)の両行は、公処(こうしよ)に向かつて法を毀(そし)り人を謗(ほう)ず」等云云。

涅槃経の九に云く「善男子、一闡提あり、羅漢の像(かたち)を作(な)して空処(しずかなるところ)に住し、方等大乗経典を誹謗(ひほう)せん。諸の凡夫の人見已つて、皆真の阿羅漢、これ大菩薩なりと謂わん」等云云。また云く「爾の時にこの経、閻浮提(えんぶだい)においてまさに広く流布すべし。この時まさに諸の悪比丘あつてこの経を抄略(かす)め、分(わか)ちて多分(たぶん)と作し、能く正法の色香美味(しきこうみみ)を滅(ほろぼ)すべし。この諸の悪人、またかくのごとき経典を読誦すといえども、如来深密(じんみつ)の要義(ようぎ)を滅除して、世間の荘厳(しようごん)の文飾(もんじき)無義の語を安置す。前を抄(しよう)して後(のち)に著(つ)け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。まさに知るべし、かくのごときの諸の悪比丘はこれ魔の伴侶なり」等云云。六巻の般泥〓経(はつないおんぎよう)に云く「阿羅漢に似たる一闡提あつて悪業(あくごう)を行(ぎよう)ず。一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心(じしん)を作さん。羅漢に似たる一闡提ありとは、この諸の衆生、方等(ほうどう)を誹謗(ひほう)せるなり。一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰(きし)し、広く方等を説くなり。衆生に語(かたつ)て言(いわ)く、我れ汝等(なんだち)と倶にこれ菩薩なり、所以(ゆえ)は何(いか)ん、一切皆如来の性(しよう)ある故にと。しかも彼(か)の衆生、一闡提なりと謂(おも)わん」等云云。また云く「我れ涅槃の後(のち)、乃至正法滅して後、像法(ぞうぼう)の中(なか)においてまさに比丘あるべし。持律(じりつ)に似像(じぞう)して少(わず)かに経を読誦(どくじゆ)し、飲食(おんじき)を貪嗜(とんし)し、その身を長養(じようよう)す。○袈裟(けさ)を服すといえどもなお猟師の細(なな)めに視(み)て徐(おもむろ)に行くがごとく、猫の鼠を伺(うかが)うがごとし。常にこの言(ことば)を唱(とな)えん、我れ羅漢を得たりと。○外(そと)には賢善を現(あらわ)し、内(うち)には貪嫉(とんしつ)を懐(いだ)かん。〓法(あほう)を受けたる婆羅門等のごとし。実(じつ)に沙門(しやもん)にあらずして沙門の像を現じ、邪見熾盛(しじよう)にして正法を誹謗せん」等云云。

それ鷲峰(じゆほう)・双林(そうりん)の日月(じつげつ)、〓湛(びたん)・東春(とうじゆん)の明鏡(めいきよう)に当世の諸宗並に国中(こくちゆう)の禅・律・念仏者が醜面(しゆうめん)を浮(うか)べたるに一分(いちぶん)もくもりなし。妙法華経に云く「於仏滅度後恐怖悪世中(おぶつめつどごくふあくせちゆう)」。安楽行品に云く「於後悪世(おごあくせ)」。また云く「於末世中(おまつせちゆう)」。また云く「於後末世法欲滅時」。分別功徳品に云く「悪世末法時」。薬王品に云く「後五百歳」等云云。正法華経勧説品(かんぜつほん)に云く「然後末世(ねんごまつせ)」。また云く「然後来末世」等云云。添品法華経(てんぽんほけきよう)に云く、等。天台の云く「像法(ぞうぼう)の中の南三北七は法華経の怨敵(おんてき)なり」。伝教の云く「像法の末、南都六宗の学者は法華(ほつけ)の怨敵なり」等云云。彼等の時はいまだ分明(ふんみよう)ならず。これは教主釈尊・多宝仏、宝塔の中に日月(じつげつ)の並ぶがごとく、十方分身(じつぽうふんじん)の諸仏樹下(じゆげ)に星を列(つら)ねたりし中にして、正法一千年・像法一千年、二千年すぎて末法の始(はじめ)に、法華経の怨敵三類あるべしと、八十万億那由佗の諸菩薩の定(さだ)め給いし、虚妄(こもう)となるべしや。

当世(とうせい)は如来滅後二千二百余年なり。大地(だいち)は指(させ)ばはづるとも、春は花さかずとも、三類の敵人(てきにん)必ず日本国にあるべし。さるにてはたれたれの人々か三類の内なるらん。また誰人(たれびと)か法華経の行者なりとさゝれたるらん。をぼつかなし。彼(か)の三類の怨敵に我等入りてやあるらん。また法華経の行者の内にてやあるらん。をぼつかなし。周の第四昭王の御宇二十四年甲寅(こういん)四月八日の夜中(やちゆう)に、空(そら)に五色の光気(こうけ)南北に亘(わたつ)て昼のごとし。大地六種に震動し、雨ふらずして江河井池(こうがせいち)の水まさり、一切の草木(そうもく)に花さき菓(このみ)なりたりけり。不思議なりし事なり。昭王大(おおい)に驚き、大史蘇由占(たいしそゆううらなつ)て云く、西方(さいほう)に聖人生れたり。昭王問て云く、この国いかん。答(こたえ)て云く、事なし。一千年の後(のち)に彼聖言(かのしようごん)この国にわたて衆生を利すべし。彼のわづかの外典の一毫未断見思(いちごうみだんけんじ)の者、しかれども一千年のことをしる。はたして仏教一千一十五年と申せし後漢の第二明帝(めいてい)の永平十年丁卯(ていう)の年、仏法漢土にわたる。これは似るべくもなき釈迦・多宝・十方分身の仏の御前(みまえ)の諸菩薩の未来記なり。当世日本国に三類の法華経の敵人(てきにん)なかるべしや。されば仏(ほとけ)付法蔵経等に記(き)して云く、我(わが)滅後に正法一千年が間(あいだ)、我正法を弘むべき人、二十四人次第に相続すべし。迦葉、阿難等はさてをきぬ。一百年(いちひやくねん)の脇比丘(きようびく)、六百年の馬鳴(めみよう)、七百年の竜樹菩薩等一分(いちぶん)もたがわず、すでに出給(いでたま)いぬ。この事いかんがむなしかるべき。この事相違せば一経みな相違すべし。いわゆる舎利弗が未来の華光(けこう)如来、迦葉の光明如来もみな妄説となるべし。爾前返(かえつ)て一定(いちじよう)となつて永不成仏(ようふじようぶつ)の諸声聞なり。犬・野干(やかん)をば供養すとも阿難等をば供養すべからずとなん。いかんがせん〓〓。

第一の「有諸無智人(うしよむちにん)」と云うは、経文の第二の「悪世中(あくせちゆう)比丘」と、第三の納衣(のうえ)の比丘の大檀那等と見へたり。随(したがつ)て妙楽大師は「俗衆」等云云。東春(とうじゆん)に云く「公処(こうしよ)に向かう」等云云。第二の法華経の怨敵は、経に云く「悪世中の比丘は、邪智にして心諂曲(てんごく)に、いまだ得ざるをこれ得たりと謂(おも)い、我慢の心充満せん」等云云。涅槃経に云く「この時に、まさに諸の悪比丘あるべし。乃至、この諸の悪人、また、かくのごとき経典(きようてん)を読誦すといえども、如来深密(じんみつ)の要義を滅除せん」等云云。止観に云く「もし信なきは、高く聖境(しようきよう)に推(お)して、己(おの)が智分(ちぶん)にあらずとす。もし智なきは、増上慢を起し、己仏(おのれほとけ)に均(ひと)しと謂(おも)う」等云云。道綽(どうしやく)禅師云く「二に理深解微(りじんげみ)なるに由(よ)る」等云云。法然云く「諸行は機に非(あら)ず、時を失う」等云云。記の十に云く「恐らくは人〓(あやま)り解(げ)せん者、初心の功徳の大(おおい)なることを識らずして、しかして功(こう)を上位に推(ゆず)り、この初心を〓(ないがしろ)にせん。故に今 彼の行(ぎよう)浅く功深きことを示して、以て経力(きようりき)を顕わす」等云云。伝教大師云く「正像稍過(ややす)ぎ已つて、末法太(はなは)だ近きにあり。法華一乗の機、今正(まさ)しくこれその時なり。何を以て知ることを得る。安楽行品に云く、末世法滅(まつせほうめつ)の時なり」等云云。慧心(えしん)の云く「日本一州円機純一(えんきじゆんいつ)なり」等云云。道綽(どうしやく)と伝教と法然と慧心といづれこれを信ずべしや。彼は一切経に証文(しようもん)なし。これは正(まさ)しく法華経によれり。その上、日本国一同に叡山の大師は受戒の師なり。なんぞ天魔のつける法然に心をよせ、我が剃頭(ていづ)の師をなげすつるや。

法然智者ならばなんぞこの釈を選択(せんちやく)に載せて和会(わえ)せざる。人の理をかくせる者なり。第二の悪世中比丘と指(ささ)るゝは法然等の無戒邪見の者なり。涅槃経に云く「我等悉く邪見の人と名づく」等云云。妙楽云く「自(みずか)ら三教(さんぎよう)を指(さ)してみな邪見と名づく」等云云。止観に云く「大経(だいきよう)に云く、これよりの前は我等みな邪見の人と名づくるなり。邪、あに悪にあらずや」等云云。弘決に云く「邪は即ちこれ悪なり。この故にまさに知るべし。ただ円を善となす。また二意あり。一には順を以て善となし、背(はい)を以て悪となす、相待(そうだい)の意(こころ)なり。著(じやく)を以て悪となし、達(たつ)を以て善となす。相待・絶待倶(ぜつたいとも)に須(すべか)らく悪を離るべし。円に著(じやく)する、なお悪なり。いわんやまた余をや」等云云。

外道の善悪は小乗経に対すればみな悪道。小乗の善道乃至四味三教(さんぎよう)は法華経に対すればみな邪悪。ただ法華のみ正善(しようぜん)なり。爾前の円は相待妙(そうだいみよう)、絶待妙(ぜつだいみよう)に対すればなお悪なり。前(ぜん)三教に摂すればなお悪道なり。爾前のごとく彼の経の極理(ごくり)を行ずるなお悪道なり。いわんや観経等のなお華厳・般若経等に及ばざる小法(しようほう)を本(もと)として法華経を観経に取入(とりい)れて、還(かえつ)て念仏に対して閣抛閉捨(かくほうへいしや)せるは、法然並に所化の弟子等・檀那等は誹謗正法の者にあらずや。釈迦・多宝・十方の諸仏は「法をして久しく住せしめんが故にここに来至したまえり」。法然並に日本国の念仏者等は法華経は末法に念仏より前(さき)に滅尽すべしと。あに三聖(さんしよう)の怨敵にあらずや。

第三は法華経に云く「或は阿練若(あれんにや)にあり、納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在つて、乃至白衣(びやくえ)の与(ため)に法を説いて、世に恭敬(くぎよう)せらるること、六通(ろくつう)の羅漢のごとくならん」等云云。六巻の般泥〓経に云く「羅漢に似たる一闡提あつて悪業(あくごう)を行じ、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん。羅漢に似たる一闡提ありとは、これ諸の衆生の方等を誹謗するなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰(きし)して広く方等を説き、衆生に語つて言(いわ)く、われ汝等(なんだち)と倶にこれ菩薩なり。所以は何(いか)ん、一切皆如来の性(しよう)あるが故に。しかも彼の衆生は一闡提と謂わん」等云云。涅槃経に云く「我れ涅槃の後、○像法の中において、まさに比丘あるべし。持律に似像して少(わず)かに経典を読誦し、飲食(おんじき)を貪嗜(とんし)して、その身を長養(じようよう)せん。○袈裟を服すといえども、なお猟師の細視徐行するがごとく、猫の鼠を伺うがごとし。常にこの言(ことば)を唱えん、我れ羅漢を得たりと。○外(ほか)には賢善を現(あらわ)し内(うち)には貪嫉(とんしつ)を懐(いだ)く。〓法(あほう)を受けたる婆羅門等のごとし。実には沙門にあらずして沙門の像(かたち)を現(げん)じ、邪見熾盛(しじよう)にして正法を誹謗せん」等云云。妙楽云く「第三最も甚し。後後(ごご)の者は転(うた)た識(し)りがたきを以ての故に」等云云。東春(とうじゆん)に云く「第三に或有阿練若(わくうあれんにや)より下(しも)の三偈は即ちこれ出家の処に一切の悪人を摂す」等云云。

東春に「即ちこれ出家の処に一切の悪人を摂す」等とは、当世日本国にはいずれの処ぞや。叡山か園城か東寺か南都か。建仁寺か寿福寺か建長寺か。よく〓〓たづぬべし。延暦寺の出家の頭(かしら)に甲冑(かつちゆう)をよろうをさすべきか。園城寺の五分法身(ごぶんほつしん)の膚(はだえ)に鎧杖(がいじよう)を帯せるか。彼等は経文に納衣在空閑(のうえざいくうげん)と指すにわにず。為世所恭敬如六通羅漢(いせしよくぎようによろくつうらかん)と人をもはず。また転難識故(てんなんしきこ)というべしや。華洛(からく)には聖一(しよういつ)等、鎌倉には良観等ににたり。人をあだむことなかれ。眼(まなこ)あらば経文に我身(わがみ)をあわせよ。

止観の第一に云く「止観の明静(みようじよう)なる前代に未(いま)だ聞かず」等云云。弘(ぐ)の一に云く「漢の明帝夜夢みしより陳朝に〓(およ)ぶまで○予(あらかじ)め禅門に厠(まじ)わりて、衣鉢(えはつ)伝授する者」等云云。補注(ふちゆう)に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云。止(し)の五に云く「また一種の禅人(ぜんにん)、乃至盲跛(もうは)の師徒(しと)、二倶(ふたりとも)に堕落す」等云云。止の七に云く「九の意、世間の文字(もんじ)の法師(ほつし)と共ならず。また事相(じそう)の禅師と共ならず。一種の禅師は、ただ観心の一意(いちい)のみあり。或は浅く、或は偽(いつわ)る。余の九は全く無し。これ虚言(そらごと)にあらず。後賢眼(こうけんまなこ)あらん者は、まさに証知(しようち)すべきなり」。弘の七に云く「文字の法師とは内(うち)に観解(かんげ)なくしてただ法相を構う。事相の禅師とは、境智(きようち)を閑(なら)わず鼻膈(びかく)に心を止(とど)む。乃至、根本有漏定(こんぽんうろじよう)等なり。一師(いつし)ただ観心の一意あり等とは、これは且(しば)らく与えて論をなす。奪(うば)えば則ち観解倶に闕(か)く。世間の禅人偏えに理観を尚(たつと)び、すでに教(きよう)を諳(そら)んぜず。観を以て経を消(しよう)し、八邪八風(はちじやはつぷう)を数(かぞ)えて、丈六(じようろく)の仏(ほとけ)となし、五陰三毒(ごおんさんどく)を合(がつ)して、名づけて八邪となし、六入を用(もつ)て六通となし、四大を以て四諦となす。かくのごとく経を解(げ)するは、偽(いつわり)の中の偽なり。何ぞ浅く論ずべけんや」等云云。

止観の七に云く「昔〓洛(ぎようらく)の禅師、名は河海(かかい)に播(し)き、住(じゆう)するときは則ち四方雲のごとくに仰ぎ、去るときは則ち阡陌群(せんびやくぐん)を成し、隠々轟々(いんいんごうごう)、また何の利益(りやく)かある。臨終に皆悔(く)ゆ」等云云。弘の七に云く「〓洛(ごうらく)の禅師とは、〓は相州にあり。即ち斉魏(せいぎ)の都(みやこ)するところなり。大いに仏法を興す。禅祖(ぜんそ)の一(はじめ)なり。その地を王化(おうけ)す。時人(じにん)の意を護(まも)つてその名を出(いだ)さず。洛は即ち洛陽なり」等云云。六巻の般泥〓経に云く「究竟(くきよう)の処(ところ)を見ずとは、彼(か)の一闡提(いつせんだい)の輩(ともがら)の究竟の悪業(あくごう)を見ざるなり」等云云。妙楽云く「第三最も甚(はなは)だし、転(うた)た識りがたきが故(ゆえ)に」等。

無眼(むげん)の者・一眼の者・邪見の者は末法の始(はじめ)の三類を見るべからず。一分(いちぶん)の仏眼(ぶつげん)を得るもの、これをしるべし。「国王・大臣・婆羅門居士…に向かつて」等云云。東春(とうじゆん)に云く「公処(こうしよ)に向かつて法を毀(そし)り、人を謗る」等云云。それ昔、像法(ぞうぼう)の末には護命(ごみよう)・修円(しゆえん)等、奏状をさゝげて伝教大師を讒奏す。今末法の始には良観・念阿等、偽書を注して将軍家にさゝぐ。あに三類の怨敵にあらずや。

当世の念仏者等、天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門居士等に向(むかつ)て云く、法華経は理深(りじん)、我等は解微(げみ)、法は至(いたつ)て深く、機至て浅し等と申しうとむるは、「高推聖境非己智分(こうすいしようきようひこちぶん)」の者にあらずや。禅宗の云く、法華経は月をさす指、禅宗は月なり。月をえて指なにかせん。禅は仏の心、法華経は仏の言(ことば)なり。仏(ほとけ)、法華経等の一切経をとかせ給いて後(のち)、最後に一ふさの華(はな)をもつて迦葉一人(かしよういちにん)にさづく。そのしるしに仏の御袈裟(おんけさ)を迦葉に付属し、乃至付法蔵の二十八、六祖までに伝う等云云。これらの大妄語、国中(こくちゆう)を誑酔(おうすい)せしめてとしひさし。

また天台・真言の高僧等、名はその家にえたれども我(わが)宗にくらし。貪欲(とんよく)は深く、公家武家(くげぶけ)ををそれてこの義を証伏(しようぶく)し讃歎(さんだん)す。昔の多宝・分身の諸仏は法華経の「令法久住(りようぼうくじゆう)」を証明(しようみよう)す。今天台宗の碩徳(せきとく)は理深解微(りじんげみ)を証伏せり。かるがゆへに日本国にただ法華経の名のみあつて得道(とくどう)の人一人もなし。誰(たれ)をか法華経の行者とせん。寺塔を焼(やき)て流罪(るざい)せらるゝ僧侶はかずをしらず。公家武家に諛(へつろ)うてにくまるゝ高僧これ多し。これらを法華経の行者というべきか。

仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり。金言(きんげん)のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし。いかんがせん〓〓。そもそもたれやの人か衆俗(しゆぞく)に悪口罵詈(あつくめり)せらるゝ。誰(たれ)の僧か刀杖を加へらるゝ。誰の僧をか法華経のゆへに公家武家に奏する。誰の僧か「数数見擯出(さくさくけんひんずい)」と度々(たびたび)ながさるゝ。日蓮より外に日本国に取出(とりいだ)さんとするに人なし。日蓮は法華経の行者にあらず、天これをすて給(たもう)ゆへに。誰をか当世(とうせい)の法華経の行者として仏語(ぶつご)を実語(じつご)とせん。仏と提婆(だいば)とは身(み)と影(かげ)とのごとし。生々(しようじよう)にはなれず。聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓(けか)同時なるがごとし。法華経の行者あらば必(かならず)三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼(いちげん)の亀の浮木(ふぼく)に値(あ)うなるべし。

ある人云く、当世の三類はほぼあるににたり、ただし法華経の行者なし。汝(なんじ)を法華経の行者といはんとすれば大(だい)なる相違あり。この経に云く「天の諸(もろもろ)の童子(どうじ)以て給使(きゆうじ)をなさん。刀杖も加えず、毒も害すること能わず」。また云く「もし人悪罵(おめ)すれば口則ち閉塞(へいそく)す」等。また云く「現世(げんぜ)には安隠(あんのん)にして後(のち)には善処(ぜんしよ)に生れん」等云云。また「頭破(こうべわ)れて七分(しちぶん)と作ること阿梨樹(ありじゆ)の枝のごとくならん」。また云く「また現世(げんぜ)においてその福報を得ん」等。また云く「もしまたこの経典(きようてん)を受持する者を見て、その過悪(かあく)を出(いだ)さん。もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ、この人現世に百癩(びやくらい)の病(やまい)を得ん」等云云。答(こたえ)て云く、汝が疑い大(おおい)に吉(よ)し。ついでに不審を晴(はら)さん。不軽品(ふきようほん)に云く「悪口罵詈(あつくめり)」等。また云く「或は杖木瓦石(がしやく)を以てこれを打擲(ちようちやく)す」等云云。涅槃経に云く「もしは殺(せつ)、もしは害」等云云。法華経に云く「しかもこの経は如来の現在すらなお怨嫉多し」等云云。仏は小指を提婆(だいば)にやぶられ、九横(くおう)の大難に値い給う。これは法華経の行者にあらずや。不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。目連は竹杖に殺さる。法華経記〓(きべつ)の後(のち)なり。付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人(ににん)は人に殺されぬ。これらは法華経の行者にはあらざるか。竺(じく)の道生(どうしよう)は蘇山(そざん)に流されぬ。法道(ほうどう)は火印(かなやき)を面(かお)にやいて江南にうつさる。北野(きたの)の天神・白居易(はつきよい)、これらは法華経の行者ならざるか。

 

事(こと)の心を案ずるに、前生(ぜんしよう)に法華経誹謗(ひほう)の罪なきもの今生(こんじよう)に法華経を行(ぎよう)ず。これを世間の失(とが)によせ、或は罪なきを、あだすれば、忽(たちまち)に現罰(げんばつ)あるか。修羅が帝釈をいる、金〓鳥(ごんじちよう)の阿耨池(あのくち)に入る等、必返(かならずかえつ)て一時に損するがごとし。天台云く「今我が疾苦(しつく)は皆過去に由る、今生の修福(しゆふく)は報 将来にあり」等云云。心地観経(しんじかんぎよう)に云く「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」等云云。不軽品に云く「その罪畢(お)えおわつて」等云云。不軽菩薩は過去に法華経を謗(ほう)じ給ふ罪身にあるゆへに、瓦石(がしやく)をかほるとみへたり。また順次生(じゆんじしよう)に必(かならず)地獄に堕(おつ)べき者は重罪を造るとも現罰なし。一闡提これなり。

涅槃経に云く「迦葉菩薩、仏に白して云く、世尊、仏の所説のごとく大涅槃の光、一切衆生の毛孔(もうく)に入る」等云云。また云く「迦葉菩薩、仏に白して言(もう)さく、世尊、云何ぞいまだ菩提心を発(おこ)さざる者、菩提の因を得ん」等云云。仏、この問(とい)を答(こたえ)て云く「仏(ほとけ)、迦葉に告げたまわく、もしこの大涅槃経を聞くことありて、我(われ)菩提心を発することを用いずと言つて、正法を誹謗せん。この人即時に夜夢の中において羅刹(らせつ)の像(かたち)を見て、心中怖畏(ふい)す。羅刹語つて言く、咄(つたな)し善男子、汝今もし菩提心を発(おこ)さずんば、まさに汝が命を断つべし。この人惶怖(こうふ)し、寤(さ)めおわつて即ち菩提の心を発す。○まさに知るべし、この人はこれ大菩薩なりと」等云云。いたう(甚)の大悪人ならざる者、正法を誹謗すれば即時に夢みてひるがへる心生(しよう)ず。また云く「枯木石山(こぼくしやくせん)」等。また云く「〓種甘雨(しようしゆかんう)に遇(あ)うといえども」等。また云く「明珠淤泥(みようじゆおでい)」等。また云く「人の手に創(きず)あるに、毒薬を捉(と)るがごとし」等。また云く「大雨空(だいうくう)に住(じゆう)せず」等云云。これらの多くの譬(たとえ)あり。詮(せん)するところは上品(じようぼん)の一闡提の人になりぬれば、順次生(じゆんじしよう)に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰(げんばつ)なし。例せば夏(か)の桀(けつ)・殷(いん)の紂(ちゆう)の世には天変(てんぺん)なし。重科(じゆうか)ありて必ず(かならず)世ほろぶべきゆへか。

また守護神(しゆごじん)この国をすつるゆへに現罰なきか。謗法の世をば守護神すてゝ去り、諸天まほるべからず。かるがゆへに正法を行(ぎよう)ずるものにしるしなし。還(かえつ)て大難に値(あう)べし。金光明経に云く「善業(ぜんごう)を修(しゆ)する者は日々に衰減(すいげん)す」等云云。悪国悪時(あくこくあくじ)これなり。具(つぶ)さには立正安国論にかんがへたるがごとし。

詮するところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命(しんみよう)を期(ご)とせん。身子(しんじ)が六十劫(ろくじつこう)の菩薩の行を退せし、乞眼(こつげん)の婆羅門の責(せめ)を堪えざるゆへ。久遠大通(くおんだいつう)の者の三五(さんご)の塵(じん)をふる、悪知識に値(あう)ゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつる、地獄の業(ごう)なるべし。本(も)と願を立つ。日本国の位(くらい)をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生をご(期)せよ。父母の頸を刎(はねん)、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来(しゆつらい)すとも、智者に我義(わがぎ)やぶられずば用(もち)いじとなり。その外の大難、風の前の塵(ちり)なるべし。我(わ)れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目(がんもく)とならむ、我れ日本の大船(たいせん)とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。

 

疑(うたがつ)て云く、いかにとして汝が流罪・死罪等、過去の宿習(しゆくしゆう)としらむ。答(こたえ)て云く、銅鏡は色形(いろかたち)を顕わす。秦王験偽(しんおうけんぎ)の鏡は現在の罪を顕わす。仏法の鏡は過去の業因(ごういん)を現ず。般泥〓経に云く「善男子、過去に曾て無量の諸罪、種種の悪業(あくごう)を作る。この諸の罪報は○或は軽易(きようい)せられ、或は形状醜陋(ぎようじようしゆうる)、衣服(えぶく)足らず、飲食〓疎(おんじきそそ)、財を求むるに利あらず、貧賤(ひんせん)の家・邪見の家に生まれ、或は王難に遭い、及び余の種種の人間の苦報あらん。現世(げんぜ)に軽く受くるはこれ護法の功徳力(くどくりき)に由るが故なり」等云云。この経文、日蓮が身にあたかも符契(ふけい)のごとし。狐疑(こぎ)の氷とけぬ。千万の難も由(よし)なし。一一の句を我が身にあわせん。「或は軽易(きようい)せられ」等云云。法華経に云く「軽賤憎嫉(きようせんぞうしつ)」等云云。二十余年が間の軽慢(きようまん)せらる。「或は形状醜陋」。また云く「衣服足らず」。予が身なり。「飲食〓疎」。予が身なり。「財を求むるに利あらず」。予が身なり。「貧賤の家に生まれ」。予が身なり。「或は王難に遭い」等。この経文、人疑うべしや。法華経に云く「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」。この経文に云く「種々(しゆじゆ)」等云云。「これ護法の功徳力に由るが故なり」等とは、摩訶止観の第五に云く「散善微弱(さんぜんみじやく)なるは動ぜしむること能わず。今止観を修(しゆ)して健病虧(ごんびようか)けざれば生死(しようじ)の輪(りん)を動ず」等云云。また云く「三障四魔、紛然(ふんぜん)として競(きそ)い起る」等云云。

我(われ)無始よりこのかた悪王と生(うま)れて、法華経の行者の衣食田畠(えじきでんぱた)等を奪(うばい)とりせしことかずしらず。当世(とうせい)日本国の諸人(しよにん)の法華経の山寺(さんじ)をたうすがごとし。また法華経の行者の頸を刎(はねる)こと、その数をしらず。これらの重罪はたせるもあり、いまだはたさゞるもあるらん。果すも余残(よざん)いまだつきず。生死を離るる時は必(かならず)この重罪をけしはてゝ出離(しゆつり)すべし。功徳は浅軽(せんきよう)なり。これらの罪は深重(じんじゆう)なり。権経(ごんぎよう)を行(ぎよう)ぜしにはこの重罪いまだをこらず。鉄(くろがね)を熱(やく)にいたう(甚)きたわざればきず隠(かく)れてみえず。度々(たびたび)せむればきずあらわる。麻子(あさのみ)をしぼるにつよくせめざれば油少(すくな)きがごとし。今(い)ま日蓮強盛(ごうじよう)に国土の謗法を責(せむ)れば大難の来るは、過去の重罪の今生(こんじよう)の護法に招(まね)き出(いだ)せるなるべし。鉄は火に値わざれば黒し。火と合いぬれば赤し。木をもつて急流をかけば波(なみ)山のごとし。睡(ねむ)れる師子に手をつくれば大(おおい)に吼(ほ)ゆ。

涅槃経に云く「譬えば貧女(ひんによ)のごとし。家に居(こ)して救護(くご)の者あることなく、加うるにまた病苦飢渇(けかつ)に逼(せ)められて遊行乞丐(ゆぎようこつがい)す。他(た)の客舎(かくしや)に止(とど)まり、寄りて一子(いつし)を生ず。この客舎の主、駈逐(くちく)して去らしむ。その産していまだ久しからず、この児を携抱(けいほう)して他国に至らんと欲し、その中路(ちゆうろ)において悪風雨に遇つて寒苦並び至り、多く蚊虻(もんもう)・蜂螫(ほうせき)・毒虫(どくちゆう)の〓食(すいくら)うところとなる。恒河(ごうが)に逕由(きようゆ)し児を抱いてしかして度(わた)る。その水漂疾(ひようしつ)なれどもしかも放ち捨てず。ここにおいて母子遂に共倶(とも)に没しぬ。かくのごとき女人(によにん)、慈念の功徳によりて、命終(みようじゆう)の後(のち)、梵天に生(しよう)ず。文殊師利、もし善男子あつて正法を護らんと欲せば、○彼の貧女(ひんによ)の恒河にあつて、子を愛念するがために身命(しんみよう)を捨つるがごとくせよ。善男子、護法の菩薩もまたまさにかくのごとくなるべし。寧ろ身命を捨てよ。○かくのごときの人は、解脱を求めずといえども解脱自(おのずか)ら至ること、彼の貧女の梵天(ぼんでん)を求めざれども梵天に自(みずか)ら至るがごとし」等云云。この経文は章安大師、三障をもつて釈し給へり。それをみるべし。

「貧人(ひんにん)」とは法財(ほうざい)のなきなり。「女人(によにん)」とは一分(いちぶん)の慈ある者なり。「客舎(かくしや)」とは穢土(えど)なり。「一子(いつし)」とは法華経の信心了因(しんじんりよういん)の子(こ)なり。「舎主駈逐(しやしゆくちく)」とは流罪せらる。「その産(さん)していまだ久しからず」とはいまだ信じてひさしからず。「悪風(あくふう)」とは流罪の敕宣なり。「蚊虻(もんもう)」等とは「有諸無智人悪口罵詈(うしよむちにんあつくめり)」等なり。「母子共没(ぼしぐもつ)」とは終(つい)に法華経の信心(しんじん)をやぶらずして頭(こうべ)を刎(はね)らるゝなり。「梵天(ぼんてん)」とは仏界(ぶつかい)に生(うま)るるをいうなり。

引業(いんごう)と申すは仏界までかはらず。日本・漢土の万国の諸人を殺すとも五逆・謗法なければ無間地獄には堕ちず。余の悪道にして多歳(たさい)をふ(経)べし。色(しき)天に生るること、万戒(まんかい)を持(たも)てども万善(ばんぜん)を修(しゆ)すれども、散善にては生れず。また梵天王(ぼんてんおう)となる事、有漏(うろ)の引業(いんごう)の上に慈悲を加えて生(しよう)ずべし。今この貧女(ひんによ)が子を念(おも)うゆへに梵天に生(うま)る。常(つね)の性相(しようそう)には相違せり。章安の二はあれども、詮するところは子を念(おも)う慈念より外の事なし。念を一境(いつきよう)にする、定(じよう)に似たり。専(もつぱ)ら子を思う、また慈悲にもにたり。かるがゆへに他事(たじ)なけれども天に生るるか。

また仏(ほとけ)になる道は華厳の唯心法界(ほうかい)、三論の八不(はつぷ)、法相の唯識、真言の五輪観等も実(じつ)には叶(かな)うべしともみへず。ただ天台の一念三千こそ仏(ほとけ)になるべき道とみゆれ。この一念三千も我等一分(いちぶん)の慧解(えげ)もなし。しかれども一代経々の中にはこの経ばかり一念三千の玉をいだけり。余経の理は玉ににたる黄石(こうせき)なり。沙(すな)をしぼるに油なし。石女(せきによ)に子のなきがごとし。諸経は智者なお仏にならず。この経は愚人も仏因を種(うゆ)べし。「解脱を求めざるに、解脱自(おのずか)ら至る」等と云云。

我(われ)並びに我(わが)弟子諸難ありとも疑う心なくわ自然(じねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世(げんぜ)の安穏(あんのん)ならざる事をなげかざれ。我弟子に朝夕(ちようせき)教えしかども疑いををこしてみなすてけん。つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするゝなるべし。妻子を不便(ふびん)とをもうゆへ、現身にわかれん事をなげくらん。多生曠劫(たしようこうごう)にしたしみし妻子には、心とはなれしか。仏道のためにはなれしか。いつ(何時)も同じわかれなるべし。我(われ)法華経の信心をやぶらずして、霊山(りようぜん)にまいりて返(かえり)てみちびけかし。

 

疑て云く、念仏者と禅宗等を無間と申すは諍(あらそ)う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。また法華経の安楽行品に云く「楽(ねがつ)て人及び経典の過(とが)を説かざれ。また諸余の法師を軽慢(きようまん)せざれ」等云云。汝この経文に相違するゆへに天にすてられたるか。

答て云く、止観に云く「夫(そ)れ仏に両説あり。一には摂(しよう)・二には折(しやく)。安楽行に不称長短(ふしようちようたん)というごとき、これ摂の義。大経に刀杖を執持(しゆうじ)し、乃至首を斬れというはこれ折の義。与(よ)・奪途(だつみち)を殊(こと)にすといえども、倶に利益せしむ」等云云。弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは、○大経に刀杖を執持すとは、第三に云く、正法を護る者は五戒を受けず、威儀(いぎ)を修(しゆう)せず。乃至下(しも)の文(もん)に仙予(せんよ)国王等の文あり。また新医(しんい)禁じて云く、もし更になすことあれば、まさにその首を断つべし。かくのごとき等の文、並びにこれ破法の人を折伏(しやくぶく)するなり。一切の経論この二を出でず」等云云。

文句(もんぐ)に云く「問う、大経は国王に親付(しんぷ)し、弓を持(じ)し〓(や)を帯し、悪人を催伏(さいぶく)せよと明(あか)す。この経は豪勢(ごうせい)を遠離(おんり)し、謙下(けんげ)慈善せよと剛柔碩(ごうにゆうおおい)に乖(そむ)けり。いかんぞ異(ことな)らざらん。答う、大経は偏(ひと)えに折伏を論ずれども、一子地(いつしじ)に住す。いかんぞ曾て摂受(しようじゆ)なからん。この経は偏(ひと)えに摂受(しようじゆ)を明(あか)せども、頭破七分(ずはしちぶん)という。折伏なきにあらず。各(おのおの)一端を挙げて、時に適(かな)うのみ」等云云。涅槃経の疏(しよ)に云く「出家・在家、法を護らんには、その元心(がんしん)の所為を取り、事(じ)を棄(す)て理を存(そん)して、匡(まさ)に大経(だいきよう)を弘めよ。故に護持正法と言う。小節(しようせつ)に拘(かかわ)らざれ。故に不修威儀(ふしゆういぎ)と言うなり。○昔の時は平(たいらか)にして法弘まる。まさに戒を持(じ)すべし、杖(じよう)を持つことなかれ。今の時は嶮(けん)にして法翳(かく)る。まさに杖を持すべし。戒を持(たも)つことなかれ。今昔倶に嶮なれば、まさに倶に杖を持(じ)すべし。今昔倶に平なれば、まさに倶に戒を持すべし。取捨宜しきを得て、一向(いつこう)にすべからず」等云云。汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう。いかに諫暁(かんぎよう)すれども日蓮が弟子等(ら)もこのをもひすてず。一闡提人のごとくなるゆへに、先(ま)ず天台・妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ。

夫れ摂受(しようじゆ)・折伏(しやくぶく)と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。譬へば熱(あつ)き時に寒水を用い、寒き時に火をこのむがごとし。草木(そうもく)は日輪の眷属、寒月(かんげつ)に苦をう、諸水は月輪(がつりん)の所従、熱時(ねつじ)に本性(ほんしよう)を失う。末法に摂受・折伏あるべし。いわゆる悪国(あくこく)・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世(とうせい)は悪国か破法の国かとしるべし。

問(とう)て云く、摂受の時折伏を行ずると、折伏の時摂受を行ずると、利益(りやく)あるべしや。答(こたえ)て云く、涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白(もう)して言(もう)さく、○如来の法身(ほつしん)は金剛不壊(こんごうふえ)なり。しかもいまだ所因を知ること能わず、いかん。仏の言(のたま)わく、迦葉、能く正法を護持する因縁を以ての故に、この金剛身(こんごうしん)を成就することを得たり。迦葉、我護持正法(われごじしようぼう)の因縁にて、今この金剛身常住不壊(ふえ)を成就することを得たり。善男子(ぜんなんし)、正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修(しゆう)せず、まさに刀剣弓〓(きゆうせん)を持(じ)すべし。○かくのごとく種々に法を説くも、しかも故師子吼(なおししく)を作(な)すこと能わず。○非法の悪人を降伏(ごうぶく)すること能わず。かくのごとき比丘は自利し及び衆生を利すること能わず。まさに知るべし、この輩(やから)は懈怠懶惰(けたいらいだ)なり。能く戒を持(たも)ちて、浄行(じようぎよう)を守護すといえども、まさに知るべし、この人は能くなすところなからん。乃至、時に破戒の者あつて、この語を聞き已つて、咸(みな)共に瞋恚(しんに)して、この法師(ほつし)を害せん。この説法の者、たといまた命終(みようじゆう)すとも、故(なお)持戒自利利他と名づく」等云云。章安の云く「取捨宜(しゆしやよろ)しきを得て、一向にすべからず」等。天台云く「時に適(かな)うのみ」等云云。譬えば秋の終(おわり)に種子(たね)を下(おろ)し田畠(たはた)をかえ(耕)さんに稲米(とうまい)をうることかたし。

建仁(けんにん)年中に法然・大日の二人出来(ににんしゆつらい)して念仏宗・禅宗を興行(こうぎよう)す。法然云く、法華経は末法に入(いつ)ては「未有一人得者(みういちにんとくしや)・千中無一」等云云。大日云く「教外別伝(きようげべつでん)」等云云。この両義国土に充満せり。

天台・真言の学者等、念仏・禅の檀那をへつらい、をそるゝ事、犬の主(しゆ)にををふり、ねづみの猫ををそるゝがごとし。国王・将軍にみやつかひ、破仏法(はぶつぽう)の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり。天台・真言の学者等、今生(こんじよう)には餓鬼道に堕ち、後生(ごしよう)には阿鼻(あび)を招くべし。たとい山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも、空閑(くうげん)にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折(しようしやく)の二門を弁(わきま)へずば、いかでか生死(しようじ)を離るべき。

問(とう)て云く、念仏者・禅宗等を責めて彼等にあだまれたる、いかなる利益(りやく)かあるや。答(こたえ)て云く、涅槃経に云く「もし善比丘、法を壊(やぶ)る者を見て、置いて呵責(かしやく)し駈遣(くけん)し、挙処(こしよ)せずんば、まさに知るべし、この人は仏法(ぶつぽう)の中の怨(あだ)なり。もし能く駈遣し、呵責し、挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なり」等云云。涅槃疏(ねはんじよ)に云く「仏法を壊乱(えらん)するは仏法の中の怨(あだ)なり。慈なくして詐(いつ)わり親しむはこれ彼(かれ)が怨なり。能く糾治(きゆうじ)せん者はこれ護法の声聞、真の我が弟子なり。彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親(しん)なり。能く呵責する者はこれ我が弟子なり。駈遣せざらん者は、仏法の中の怨なり」等云云。

 

夫れ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集(らいじゆう)はなに心(ごころ)ぞ、「法をして久しく住せしめんが故にここに来至したまえり」等云云。三仏の未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子(ぶつし)にあたえんとおぼしめす御心(みこころ)の中(うち)をすいするに、父母の一子(いつし)の大苦(だいく)に値(あ)うを見るよりも強盛(ごうじよう)にこそみへたるを、法然いたわしとおもはで、末法(まつぽう)には法華経の門を堅く閉(とじ)て人を入れじとせき、狂児(おうじ)をたぼらかして宝をすつるやうに法華経を抛(なげすて)させける心こそ、無慚(むざん)に見へ候(そうら)へ。我(わが)父母を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子(あくし)の酔狂(すいきよう)して父母を殺すをせいせざるべしや。悪人寺塔に火を放(はなた)んに、せいせざるべしや。一子の重病を灸(やいと)せざるべしや。日本の禅と念仏者とをみてせいせざる者はかくのごとし。「慈(じ)なくして詐(いつわ)り親しむはこれ彼が怨(あだ)なり」等云云。日蓮は日本国の諸人(しよにん)にしたしき(親)父母なり。一切の天台宗の人は彼等が大怨敵なり。「彼がために悪を除くは即ちこれ彼が親なり」等云云。

無道心(むどうしん)の者、生死(しようじ)をはなるゝ事はなきなり。教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈(めり)せられさせ給い、天台大師の南北並びに得一(とくいつ)に「三寸の舌もて五尺の身をたつ」と、伝教大師の南京(なんきよう)の諸人に「最澄いまだ唐都(とうと)を見ず」等といわれさせ給(たまい)し、みな法華経のゆへなればはぢならず。愚人(ぐにん)にほめられたるは第一のはぢなり。日蓮が御(ご)勘気(かんき)をかほれは天台・真言の法師(ほつし)等悦(よろこ)ばしくやをもうらん。かつはむざんなり、かつはきくわい(奇怪)なり。

夫れ釈尊は娑婆(しやば)に入(い)り、羅什(らじゆう)は秦(しん)に入り、伝教(でんぎよう)は尸那(しな)に入る。提婆(だいば)・師子(しし)は身をすつ。薬王(やくおう)は臂(ひじ)をやく。上宮(じようぐう)は手の皮をはぐ。釈迦菩薩は肉をうる。楽法(ぎようぼう)は骨を筆とす。天台の云く「時に適(かな)うのみ」等云云。仏法は時によるべし。日蓮が流罪(るざい)は今生(こんじよう)の小苦(しようく)なればなげかしからず。後生(ごしよう)には大楽(だいらく)をうくべければ大(おおい)に悦(よろこ)ばし